写真・図版 

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 現在の皇居・宮殿の位置に江戸城西の丸があった。将軍の隠居所や世嗣(せいし)の住まいとなった御殿は幕末の文久3(1863)年春に焼失。同じ年の暮れに本丸と二の丸も火事で失い、江戸城内郭に殿舎がほとんどない時期が出現した。江戸幕府瓦解(がかい)の前兆だったか。

 絵の左奥は元治元(1864)年新造の西の丸。14代将軍家茂(いえもち)と天皇家から降嫁(こうか)した和宮(かずのみや)が短くも幸せな時間を過ごした。しかし4年後の明治元(1868)年には官軍が入城。西の丸御殿は明治6年に焼失してしまう。西の丸裏御門はその後移築され、現在は乾門(いぬいもん)として使われている。御殿の奥には雨にかすむ伏見二重櫓(やぐら)の頂部や、西の丸玄関前御門の渡り櫓が見える。

 絵の右側は紅葉山(もみじやま)。明治2年に撤去されるまで歴代将軍を祀(まつ)る御霊屋(みたまや)が並んでいた。今は宮内庁庁舎が立つ。6代家宣(いえのぶ)の霊廟(れいびょう)には9代家重(いえしげ)と12代家慶(いえよし)が合祀(ごうし)された。太田道灌(どうかん)お手植えとの伝説が残る槐(えんじゅ)も見える。(建築家・画家 木下栄三)

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