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 「助けて下さい、先生」と入院中の60代の女性に手を取られた。痛みがある。胸水がたまり、息苦しい。眠れない。それらを取り除いてほしい、ということかと思ったら違ってた。「もう終わるよう、助けて下さい」。がんとの闘いはここ1、2年どころではない。県外へも治療に出掛けられた。「助ける」って、広い意味を持つんだ。

 多くの家族はこんな時、「一日でも長く生きてほしい」と願う。医療者は間にはさまれ、右耳と左耳で違う二つの心持ちを聞く。病状は刻々と変わる。一日でも半日でも、その半分でも変わる。みんなの心持ちも、刻々と変わる。急いでスタッフと家族とで話し合う。「でも、苦しいですなあ、女房の気持ちも汲(く)まにゃあ」と旦那さんポツリ。患者さんの苦痛をやわらげることが、患者さんの死を早めたと思われることもある。家族に深い悲しみを強いることもある。どうすればいいか、話し合う。吐いた自分の言葉を聞いた自分が考え直す。みんなが自問自答。そうこうして、何らかの結論めいたものに向かっていく。

 「命、あとどれくらい?」と決まって聞かれる。「数日単位」「週単位」「月単位」と答えよ、と医療者向けの教科書には書いてある。「野球で言うと」とぼくは答えることがある。「九回の裏、ワンアウト」。旦那さんは口唇をかみしめる。「病気が分かったのが5年前の早春でした。そこまで来ましたか」。ぼくは「延長、ということもあります」と付け足す。旦那さんの顔、少しゆるむ。「それがいいです」。「でも十五回で日没かなあ」と余分な付け足しをしてしまった。返された次の言葉に驚いた。「だったら先生、再試合ですな」。旦那さん、してやったりと顔に笑み。やられた、とぼく。

<アピタル:野の花あったか話>

http://www.asahi.com/apital/column/nonohana/(アピタル・徳永進)

アピタル・徳永進

アピタル・徳永進(とくなが・すすむ) 野の花診療所医師

1948年鳥取市生まれ。京都大学医学部卒業。京都、大阪の病院・診療所を経て、鳥取赤十字病院の内科医に。2001年12月、鳥取市内にてホスピスケアのある有床診療所「野の花診療所」を始め、さまざまな死の形を臨床から報告。鳥取市にセミナーハウス「こぶし館」を建築し26年になる。