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 水俣病の原因企業チッソとの自主交渉のリーダーとして、被害者救済に力を尽くした故・川本輝夫さん(1999年2月18日死去、享年67)をしのぶ「咆哮(ほうこう)忌」が12日、水俣市内であった。この日が18回目で、生前の人柄を慕う人たちや親族が集まって川本さんの功績を振り返った。

 川本さんは父親の死をきっかけに潜在患者の掘り起こしに奔走。当初は「奇病」と差別され、沈黙を強いられた人たちの病状を自転車に乗って聞いて回った。チッソとの交渉では「闘士」と呼ばれ、東京の本社での座り込みは1年7カ月に及んだ。

 長男で、水俣病資料館の語り部を務める愛一郎さん(58)は「思い出話や楽しく激しいエピソードを聞き、生前の姿が浮かぶ日。明日からの水俣を考えるきっかけになれば」とあいさつ。川本さんと同じ1931年生まれの吉井正澄・元水俣市長(85)は、川本さんの水俣市議時代などを振り返り、「水俣湾を世界遺産にしようという提案をされたが、国や県は冷淡だった」「権力に素手で立ち向かったのが川本さん。補償協定の交渉でも厳しい状況のなかで相手をじわりじわりと説き伏せた」などと語った。(奥正光)