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 19日に開幕した札幌冬季アジア大会は2020年東京五輪・パラリンピックを控えた国内最後の国際スポーツ総合大会。大会のPRアンバサダー(広報大使)を務めるスピードスケート出身の清水宏保さん(42)と、視察に訪れている2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会のスポーツ局長で陸上・ハンマー投げ出身の室伏広治さん(42)の2人の五輪金メダリストが、競技の枠を超えて語り合った。札幌から東京へ。そして未来へ。何をつないでいくべきか。

 室伏 物心ついたころから、同じハンマー投げの競技者だった父(重信さん)の影響でアジア大会には強い印象を持っていました。父はアジア大会で5連覇。最後はあと数日で41歳になるという時に1986年ソウル大会で勝ち、「アジアの鉄人」と言われました。父は84年ロサンゼルス五輪でいったん競技をやめていたんですが、ブランクを経て練習を再開し、ひざ、肩、腰を痛めて満身創痍(まんしんそうい)。顔を洗うのにもかがめないほどだった。それでも、戦う強い気持ちを持ち、頭の中で理想の投てきのイメージを作り上げられさえすれば、本番である程度投げられるのだ、と教わったのを記憶しています。

 清水 私は98年長野五輪でメダルをとって、その5年後の2003年青森冬季アジア大会でも500メートルで勝ちました。いずれも地元、日本開催。声援に背中を押されるという表現がありますが、まさにその感覚がありましたね。今大会のPRアンバサダーとしては市民の観戦、応援が選手の活躍を支えるんだというメッセージを自分の体験から発信してきました。

 室伏 私も98年バンコク・アジア大会では78メートル57の日本新記録で優勝しました。その大会には、92年バルセロナ五輪金メダリストで、私の兄貴分的存在だったアブドワリエフ選手がソ連崩壊後、ウズベキスタン代表でアジア大会に出ていました。彼を抑えて金メダルをとれたことが、その後の競技人生の自信になったんです。

 清水 僕たちはそれぞれ五輪に4回出て2度目の五輪で金メダルを取りました。僕の持論なのですが、2度目の五輪はメダルをとりやすい。1度目は雰囲気にのまれてしまうことがあるけど、2度目は雰囲気もわかった上で、4年の間に勝負していく自分を作り上げていけるから。

 室伏 そうですね。清水さんの場合は2度目が、地元開催の長野五輪ですからね。やりやすくもあり、プレッシャーもあったはず。私は最初の00年シドニー五輪は、伸び盛りで80メートルを超える記録も大会直前に出してメダルをとるチャンスはありました。ただ、大雨が降って試合が延びて、イレギュラーなことに対応できなかった。五輪というのは強いだけでは勝てなくて順応する力が大事。04年アテネ五輪までの4年間はどんなことが起きても適応する訓練をしましたね。

 清水 かつて私の指導者が、スピードスケートのカーブワークで遠心力を味方につけようと、室伏さんの投てきの映像を研究したことがありました。「ハンマー投げ走法」なんて呼ばれて。私が現役のころ、夏と冬の選手の交流は全くなかったけれど、トレーニングの交流、情報交換はもっとしてもらいたいなと思いますね。ぼくも室伏さんとトレーニングしてみたかったです。

 室伏 陸上男子100メートル…

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