【動画】コスモスポーツの思い出を語る石原慎太郎さん=佐藤正人撮影
[PR]

 半世紀前にデビューしたロータリーエンジン搭載車のマツダ・コスモスポーツ。ほぼ同時期に政界デビューを果たした石原慎太郎さん(84)は、オーナーのひとりだった。高度経済成長期のまっただ中にあった「あの時代」の記憶を語ってもらった。

     ◇

 (コスモスポーツの写真を見ながら)これだなぁ。そうそう、まさにこれだよ。懐かしいなぁ。

 ――コスモスポーツが登場する、レーサーが主役のミュージカルを作りましたね

 日生劇場(東京都)で企画担当重役をやったことがあって、そのときにコスモが発表されたんですよ。元の台本では別のローラと言う車だったんだけど、コスモに代えて主人公の車にした。カーレーサーの話で、そこに恋がからんでうんぬんという話。

 それで(当時社長の)松田恒次さんに支援をお願いに行ったら快諾していただいた。それが初めての出会い。広島の本社に行きましたよ。豪儀(ごうぎ)な人だったね。胸たたいてぽんと引き受けてくれた。よしって感じで。お世話になりっぱなし。

 ――どんな車でしたか

 僕がね、乗っていた他のスポーツカーってみんなソフトトップでね。(オープンカー用の)布の屋根。MGもそうだしトライアンフもそうでしたし。そういう点ではコスモはちゃんと屋根がついてて雨でも風でもなんでもなかった。加速も良かったしね。

 あのころスポーツカーなんて日本じゃめずらしくてさ、乗っている連中はすごくて、スポーツカークラブなんて作ったんだよ。スポーツカーって一種のエリート意識があって、乗ってる連中が街ですれ違うと、(人さし指を目の前に出すようにして)指でぷっとあいさつしたの。

 ――1968年に参議院に初当選し、初登院もコスモでした。思い出は

 政治家になる前、別の車のCMに出てくれって言われたんだよ。海岸を車で走ってきてぎゅって止めて、「これいい車だ」っていうCM。その後(参院選に)出たもんですから松田さんが応援してくれたんです。

 かっこいい車だったから、最初に登院するとき乗っていったんですよ。それを国会の前にとめて降りていったらそれがニュースになった。あとで松田さんから「石原くん、あそこまでしなくていいよ」って電話がきましたよ(笑)。

 山中湖近くにささやかな別荘があるんですけど、よく仕事持って(コスモで)行って1人で仕事してね。あるとき、籠坂(かごさか)峠(山梨県と静岡県の境)にまだトンネルが出来る前、霧がかかって暗くて路肩の溝に落っこっちゃったんです。どうにも出られない。そこにパトカーがきた。あの車軽いでしょ。3人で持ち上げてはずしたこともあったな。

 あのころに、東京に首都高速ができたんです。ループのぐるっとまわるね。それを夜に回って。なんていうのか、いい車だし気持ちよく走ったのを覚えているな。

 ――松田社長はどんな人でしたか

 男気のある人だった。そういう人がいたから、やっぱり(広島カープの)黒田(博樹元投手)みたいな選手も出たんだなと思う。(昨年カープがセ・リーグで優勝して)喜んでおられるだろうね。マツダスタジアムっていう立派なものもできたしさ。(2016年)一番の年男は黒田だって思う。あんな、すばらしい日本の男っていないぜ。何億円も捨てて「ふるさと」に帰って来て、優勝までしてさ。やー男ってのはいいもんだなって。

 ――石原さんが乗っていたコスモは、オーナーを代えてまだ現役で走っているようです

 あの車に? 懐かしい。いろいろなスポーツカーに乗ったけど、コスモが一番だったな。ロータリーエンジンは画期的。軽くて速くてね。そうか、まだあの車に乗ってる人がいるんだ。いい車だもんなぁ。(構成・神沢和敬)

     ◇

 〈いしはら・しんたろう〉 作家。1932年、神戸市生まれ。母や妻は広島県出身。一橋大学在学中に「太陽の季節」で芥川賞を受賞。68年の参議院選で歴代1位の301万票を得て初当選し、環境庁長官や運輸相を務めた。99~2012年は東京都知事。その後国政に復帰し、14年に引退した。近著に田中角栄の生涯を描いた「天才」(幻冬舎)。