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 宮崎県高千穂町の山あいで起きたヒ素公害「土呂久(とろく)公害」の教訓を環境教育に生かそうという動きが広がっている。被害者の支援団体は資料館の創設を呼びかけ、かつて中毒症の認定をめぐって被害者と対立した県もウェブサイトに特設ページを作るなど、語り継ぐことに力を入れ始めた。

 昨年12月、熊本県水俣市。宮崎市のNPO、アジア砒素(ひそ)ネットワーク(AAN)理事の川原一之さん(69)は、公害の資料をどう整理し公開していくかを議論する「公害資料館連携フォーラム」に参加していた。AANは土呂久公害の被害者に寄り添い、海外でのヒ素中毒対策にも当たってきた。傍らには宮崎県職員の姿もあった。

 土呂久でヒ素公害が明らかになったのは1971年。73年に国が公害病に指定したが、全身の症状を中毒症と訴える住民側と、皮膚や鼻以外の症状は因果関係がよく分からないとする行政側が対立。県の対応には「公害による観光地のイメージ悪化などを恐れた」との批判もあった。

 そうした県の姿勢に昨年、変化のきざしが表れた。1月には土呂久公害を解説するページ(http://www.pref.miyazaki.lg.jp/kankyokanri/kurashi/shizen/toroku.html別ウインドウで開きます)をウェブサイトに新設。3月には土呂久公害の歴史などを記した16枚のパネルをつくり、シンポジウムなどで展示を始めた。AANにも「土呂久を次世代に伝える環境教育の実現可能性を示してほしい」と依頼した。行政と住民との軋轢(あつれき)を見てきた川原さんは「当時の県の態度からすると、考えられないこと」と驚く。

 背景には公害の記憶の風化への…

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