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 30年前、朝日新聞阪神支局で撃たれた小尻知博記者。手術にあたった医師や、地元の自治会長に当時の記憶を聞いた。

 編集室に入った救急隊員は意識レベルの低い小尻記者をまず運んだ。小尻記者は担架の上でつぶやいた。

 「ちくしょう」

 兵庫県尼崎市の関西労災病院の集中治療室(ICU)。外科医の立岡寿比古さん(66)が、ほおをたたいた。

 「誰に撃たれたんや」

 「わからん」

 血圧は極めて低く、ショック状態にあった。「家族は来てませんが、これから手術します」。小尻記者は、ただうなずいた。最後に見せた意識だった。

 傷は至近距離で撃たれたことを示していた。左脇腹から入った弾は脾臓(ひぞう)を突き破り、胃の裏側ではじけていた。散弾粒が飛び散り、内臓や大動脈などの中枢部を破壊していた。立岡さんは犯人の強烈な殺意を感じたことを覚えている。

 「奥様が着かれ、せめて最期だけはみとらせてあげたい。そのための処置しかできませんでした」

 翌4日午前1時10分、事切れた。小尻記者の広島県の実家に帰省していた妻と当時2歳の長女が病院に着いたのは、その約2時間後だった。

 小尻記者の自宅は阪神支局のすぐそばにあった。時折、職場から妻子と手を振り合うこともあった。事件はそんな生活圏を侵し、住宅密集地の平穏も破った。

 2発の銃声は隣の医院看護師らが聞いていた。当時から与古道町自治会長を務める古川富太さん(89)は外出先で事件を知り、急いで帰った。非常線が張り巡らされる中、住民だと告げ自宅に戻った。連日のように報道陣が押し寄せ、捜査員が聞き込みに訪れた。

 自治会は回覧板を回し、小尻記者の死と社葬(5月15日)の日時を知らせた。古川さんをはじめ、2千人を超える市民らが参列した。

 「支局に行くこともありましたから、小尻さんは知ってました。いきなり銃で撃つなんて。怖いですよ」

 新聞社の支局には様々な人が出入りし、身近な情報や疑問を寄せる。事件は市民と新聞をつなぐ接点を踏みにじるものだった。(中村尚徳)