【動画】浅野大義さんが作曲した応援曲「市船soul」が、浅野さんの告別式で演奏された=遺族提供のDVDより
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 市立船橋高校(千葉県船橋市)には、受け継がれていくメロディーがある。

 応援曲「市船soul(いちふなソウル)」。吹奏楽部の躍動感あふれる旋律が、運動部員たちに力を与えてきた。

 作曲したのは2014年3月に卒業した浅野大義(たいぎ)さん。目立ちたがり屋のトロンボーン吹きが卒業前、高橋健一先生(56)に願いでた。

 「僕にオリジナルの曲を作らせてください」

 「できが良かったら採用してやるよ」

 音大に通いはじめたその年の初夏、大義さんは母校の先生を訪ね、4枚の譜面を手渡した。机に広げた先生は「長いよ」と苦笑し、ペンで少し手をいれた。

 後輩たちが奏でる「市船soul」が、試合で流れはじめた。

 翌年の夏、大義さんはバーベキューに出かけた。家に帰ると、吐き気がした。せきも止まらない。

 詳しい検査の後、医者から「胸にがんがあります」と告げられた。

 抗がん剤投与と手術をし、昨年4月、半年ぶりに退院した。5月、また頭にがんが見つかった。治療を終えた7月、家に戻った。

 そのころ、母校の野球部は千葉大会を勝ち進んでいた。準決勝、同点の六回裏1アウト満塁。「市船soul」が響き、走者一掃の三塁打が飛び出した。

 夏の日差しが照りつける応援席に、ニット帽をかぶってトロンボーンを吹く大義さんがいた。「自分の曲をやってもらうのはうれしいよ」。体を気づかう仲間に照れ笑いを見せた。

 決勝。六回裏、ふたたび「市船soul」。適時打で2点差を追いついた。大義さんも立って演奏をつづけた。最終回に1点取られ、甲子園は逃した。

 1カ月後、けいれんして意識を失った。また、頭にがんができていた。

 家族や友人に弱音は吐かなかった。12月、彼女にLINEで伝えた。

 《俺の心は死んでても俺の音楽は生き続ける》

 体が動かなくなり、目や耳も悪くなった。

 今年1月12日、20年の生涯を終えた。

 「告別式で大義のために演奏しよう」

 言い出したのは、先生だった。大義さんと同じ世代で部長だった河上優奈さん(21)が連絡を回し、演奏できる元部員を集めた。

 式の2日前、100人以上が母校に集まった。静まりかえった夜の校舎で、優奈さんが言った。「最高のかたちで大義を送りだしたい」。初めて顔を見る先輩と後輩が音を合わせた。練習を終えて全員が学校を出たとき、日付は変わっていた。

 告別式の日。楽器を持った喪服姿の人が葬祭場に次々とやってきた。店に頼みこんで休みをもらった美容師。1歳の子を親に預けてきたママ。演奏者は164人になった。

 祭壇には、大義さんの遺影と愛用のトロンボーン。白いひつぎを囲んで楽器を構える教え子たちに、先生がタクトを振った。

 魔女の宅急便、夜明け、手紙……。昔みんなで練習した思い出の曲を奏でていった。

 最後は、あの応援曲。「大義が作った曲だ。いくぞー」。先生が言った。

 明るいメロディーが葬祭場に響く。トランペットを吹く女性のほおを、涙が伝う。

 タイギ、タイギ、タイギ――。

 選手の名前のコールも、この日だけは作曲者に送られた。

 会場には母校がつくった横断幕が掲げられた。

 「浅野大義君 市船soulは永遠だ」(岩崎生之助)