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 28日に始まる「京都非公開文化財特別公開」には、京の西郊の嵯峨や御室(おむろ)、宇多野(いずれも京都市右京区)から5寺が参加します。風光明媚(ふうこうめいび)な地として平安時代から天皇や貴族らに愛され、多くの寺院や山荘が造営されてきました。新緑の季節、この地で花開いた仏教文化の一端に触れてみませんか。

■遍照寺

 古くからの観月の名所、嵯峨・広沢池(ひろさわのいけ)。京都市内とは思えないほどのどかな田園風景が広がる。

 かつて、この池のほとりに遍照寺(へんじょうじ)は壮大な伽藍(がらん)を構えていた。平安中期の989年、宇多天皇の孫・寛朝が創建。真言密教の広沢流の根本道場として栄えた。応仁の乱で荒廃し、江戸初期に南へ約300メートルの現在地へ。1830年にようやく堂宇が再建された。

 そんな変転を乗り越え、千年以上も伝わってきたのが本尊の十一面観音立像(国重要文化財)だ。創建ごろ、定朝の父または師とされる康尚(こうじょう)の作という説が有力だ。

 彫刻史が専門の伊東史朗・和歌山県立博物館長は「一木造(いちぼくづくり)という古い技法を用いながら重厚感を払拭(ふっしょく)し、穏やかな表情や浅い彫りの衣紋に次の時代の表現が見られる。仏像が和様へと飛躍した記念碑的作品です」と評価する。

 隣に安置されている赤不動明王坐像(ざぞう)(重文)も康尚作と考えられ、憤怒の表情ながら優美さも漂う。「醜より美が優先されるのが和様なのです」と伊東さん。

■鹿王院

 次に向かったのが鹿王院(ろくおういん)。客殿の縁に座ると、嵐山を借景にした見事な枯山水庭園が広がる。

 寺は室町幕府3代将軍、足利義満が1380年に建てた宝幢寺(ほうどうじ)の塔頭(たっちゅう)(小院)。客殿にかかる「鹿王院」の扁額(へんがく)は義満の自筆という。

 今回、舎利(しゃり)殿で多宝塔に収められた仏牙(ぶつげ)舎利(釈迦の歯)が特別公開される。鎌倉幕府3代将軍、源実朝が宋から求めた貴重なもので通常は10月15日のみの公開だ。このほか、夢窓国師(むそうこくし)の墨書(重文)や鎌倉前期の慶派の作という十大弟子像なども拝観できる。

■厭離庵

 百人一首を編んだ藤原定家の小倉山荘「時雨亭」の旧跡とされるのが厭離庵(えんりあん)だ。境内には五輪塔「定家塚」や、時雨亭の名をつけた茶室がある。

 本堂にまつられた如意輪観音像は定家の念持仏と伝わる。子どものような表情だが、目には力を宿す。調査した井上一稔・同志社大教授によると、顔から胴体にかけては平安の終わりごろの作という。大澤玄果住職は「このお像を一目見て出家を志しました」と話す。

 厭離庵は紅葉の名所。それだけに青もみじの美しさも格別だ。新緑に包まれた庭園を爽やかな風が吹き抜けていく。(文・久保智祥、写真・佐藤慈子)

■仁和寺

 真言宗御室派の総本山。光孝天皇の勅願により創建され、888(仁和4)年に完成した。宇多法皇が入寺し御室(御座所)を設けたことから御室御所とも呼ばれ、代々の門跡を皇子皇孫が務めた。金堂(国宝)は1613年に造営された内裏(天皇の住まい)の紫宸殿(ししんでん)が移築されたもので、現存最古の紫宸殿遺構。経蔵(重文)の内部には仏教聖典を収めた輪蔵がある。

■妙光寺

 1285(弘安8)年開創。室町時代には京都十刹の第8位と栄えたが応仁の乱後に荒廃。江戸初期に豪商打它公軌(うだきんのり)が法堂などを再建した。建仁寺が所有する俵屋宗達筆「風神雷神図屛風(びょうぶ)」はもともと妙光寺再興記念に公軌が依頼したもの。文人が集うサロンとなっていた方丈や、象牙・金箔(きんぱく)で装飾された、本尊を安置する厨子(ずし)=写真=などが当時の雰囲気を伝える。

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 ■嵯峨へは、JR京都駅から山陰線で約15分、嵯峨嵐山駅下車。遍照寺は嵯峨嵐山駅から徒歩15分。市バス広沢御所ノ内町下車徒歩4分。仁和寺などから市バス59号系統(一部)で広沢池・佛大広沢校前下車徒歩3分。鹿王院へは嵯峨嵐山駅から徒歩5分。嵐電鹿王院駅から徒歩3分。市バス・京都バス下嵯峨下車徒歩3分。厭離庵へは嵯峨嵐山駅前から市バス・京都バス嵯峨釈迦堂前下車徒歩7分。

 ■仁和寺へはJR京都駅から市バス26号系統や京阪三条駅前などから市バス59号系統で御室仁和寺下車すぐ。嵐電北野線御室仁和寺駅から徒歩3分。妙光寺へは御室仁和寺から市バス26号系統福王子下車徒歩5分。嵐電北野線宇多野駅から徒歩8分。

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