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 里山が新緑で満ちる。絶好の往診日和。往診は疲れるが、新緑のころは疲れが飛ぶ。往診で一番大事なことは何か。その家にたどり着くこと。なんだそんなこと、と思われそう。初めての家のときはもちろん、初めてでない家のときもそう。

 「おじゃまでーす、診療所ですー」。2人暮らしの80歳の京子ばあさんちに到着する。京子さんは歩けない、這(は)うだけ。85歳のご主人は耳が遠い。どの家も障害を抱える。ご主人が昼食の準備をしていた。白ハタの煮物、野菜サラダ、みそ汁、手作り振りかけ。「この人の料理、どれもおいしい」と京子さん。洗濯も掃除もお風呂もご主人。「はあ? 女房、何もせんもんで」と苦笑い。夕食の段取りも進んでいた。ローストビーフにフキの炊き合わせ。「料理、好きで」とご主人。立派な主夫。日本の老々介護は主夫力にかかる。正午の時報が鳴った。次のお宅へ。

 「診療所でーす、遅くなりましたー」と一人暮らしの90歳の富子ばあさん宅にたどり着く。いつもの勝手口から入る。びっくりした。台所の丸椅子に座ってストーブの上の竹の子の煮物の番をしていた。いつもは奥の居間のベッドにもぐり込んで、「具合悪いです」と暗いのに、明るい。1週間前から食欲が出て元気に。

 「先生」と富子さん。夫が老人施設に入居して1年。「施設に入れて、可哀想だなと思いましたが、あのままだと私も共倒れ。これでよかったと今は思えます。1人は、ほんと楽です」と言って続けた。「先生、男は威張ったらいけません。炊飯器のスイッチ入れ、みそ汁作り、お皿洗わんと」。人生の先輩からの大切な指導。だしの匂いが、ちょっぴり寂しい家の台所に広がる。たどり着いた今日の往診、これからの老夫婦の姿、あぶり出す。

<アピタル:野の花あったか話>

http://www.asahi.com/apital/column/nonohana/(アピタル・徳永進)

アピタル・徳永進

アピタル・徳永進(とくなが・すすむ) 野の花診療所医師

1948年鳥取市生まれ。京都大学医学部卒業。京都、大阪の病院・診療所を経て、鳥取赤十字病院の内科医に。2001年12月、鳥取市内にてホスピスケアのある有床診療所「野の花診療所」を始め、さまざまな死の形を臨床から報告。鳥取市にセミナーハウス「こぶし館」を建築し26年になる。