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 話しそびれる、ということがある。講演会に呼ばれていって、大切なことはここだ、と当たりをつけているのに、途中の話に自分で乗って、話がそれて、正体不明の飛行物体みたいになり、不時着してしまう。安全な方法は、スライドを用意し、映して話すことだろう。敷かれた線路の上を走るので確かに安心。ただ、話す側としては少し物足りない。話す自分が壇上の自分の話にびっくりしたり、いいこと言ってるわと思ったりするくらいの方が、おもしろい講演だと思う。それって達人の技か、贅沢(ぜいたく)は望むまい。

 先日の広島での「いのちを学ぶ」という講演会でのこと。死の臨床も、他の臨床がそうであるように、医療者が持ち合わせたい態度は一種類に限定できない。育児も教育も、仕事もスポーツも、ほとんどの現場が一種だけの態度では貫けない。

 「自立」がよくて「依存」はダメか、「放任」がよくて「過保護」はダメか、なども一概には言えない。一筋縄でいかないのは、誰もがいろんな事情を抱えているから。日々刻々、状況は変わっていくから。

 死の臨床でも、「生きたい」という気持ちが「もう死にたい」に変わる。「死んだほうがええ」が「生きとりたい」に変わる。「死んだらいけん!」という叫びが片方に、片方には「これで楽になれたね、ご苦労さま」というささやきもある。誰もが一つの態度では対応できない。

 そうなのだが、医療者としてどの時にも、この態度には普遍性があると思える、そんな態度は何だろう。壇上でそのことを話そうと思ってたのに。「誠意を持つ」「ねぎらう」「敬服する」、「決めつけない」「とがめない」「思いめぐらす」「謝る」、「気配を察す」「うなずく」「さする」、これらのことの大切さ、そのことを話しそびれた。

<アピタル:野の花あったか話>

http://www.asahi.com/apital/column/nonohana/(アピタル・徳永進)

アピタル・徳永進

アピタル・徳永進(とくなが・すすむ) 野の花診療所医師

1948年鳥取市生まれ。京都大学医学部卒業。京都、大阪の病院・診療所を経て、鳥取赤十字病院の内科医に。2001年12月、鳥取市内にてホスピスケアのある有床診療所「野の花診療所」を始め、さまざまな死の形を臨床から報告。鳥取市にセミナーハウス「こぶし館」を建築し26年になる。