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 昼休み、小松島高校(徳島)の林貫太選手(現3年)は体育教師室の前で立ちすくんでいた。パーマをかけた長い茶髪、耳にはピアス。頭の中は真っ白で、足は震えている。それでも、一歩踏み出し、扉をノックした。野球部の豊富(とよとみ)尚博監督の前で声を振り絞る。「野球部に入れて下さい」。豊富監督は顔を向け、「本当に続けられるんか」と真剣な表情を見せた。昨年5月末のことだ。

 小学2年の時、父の影響で野球を始め、中学時代は主将も務めた。中学2年の時に父を肝臓がんで亡くし、「高校では野球をしない」と決めた。お金の面で家族に迷惑をかけられないと思ったからだ。

 退屈な高校生活。力と時間を持て余し、中学の頃の友達と夜遅くまで遊んだ。遅刻や欠席は当たり前。自分に嫌気がさし、「学校辞めようかな」とも思った。

 2年生になり、ある時、父との会話を思い出した。姉と3人で入った焼き肉屋で、父は笑って言った。「カン、将来はプロ野球選手だろ」。「そんなわけないやん」

 今の自分を父が見たら、どう思う? きっと野球やってる姿が見たいやろな。

 そんな時、豊富監督にかけられた一言が響いた。「野球はもういいんか」。豊富監督には入学当初から気にかけてもらっていた。「元気か」「大丈夫か」。体育の授業以外に関わりはなかったが、すれ違う度に声をかけてもらった。

 「野球がしたい」。でも、お金がかかる。おそるおそる母に切り出すと、「自分が今やりたいことをしたらいいよ。あと1年。私も頑張るから、本気で最後までやりなさい」と言ってくれた。

 体育教師室にいた豊富監督と話し終えるとすっきりとした気持ちだった。その日のうちに頭を丸め、ピアスをはずした。

 翌朝、丸刈り頭に集まる視線を感じながら、練習に参加した。

 2年ぶりのゴロにグラブは届かず、打撃練習ではバットが空を切った。先輩と後輩の区別がつかず、全員に敬語を使っていると、「僕、一つ下です」。

 それでも、部内の決まりを教えてくれたり、道具も貸してくれたり。チームメートとして受け入れてくれた。

 毎日学校に行き、練習に参加する。生活のリズムが戻ると、捕球や打撃も調子が出てきた。豊富監督は「練習に入れば一番の元気者で、大きな声が出ている。チームに新しい風を吹き込んでくれた」。

 この日も、グラウンドで仲間と汗を流していた。林選手は思う。「野球部に入っていなかったら、高校を辞めて、今よりもっともっと親に迷惑をかけていたかも知れない。家族や監督、それにチームメートのおかげで野球ができる」

 あの日から1年あまり。一回り大きくなった心と体で、最後の夏を迎える。