[PR]

 タイ・バーツの暴落に端を発した「アジア通貨危機」から20年。国境を越えて動く巨額の投資マネーが国家を揺るがし、ドミノのように別の国に波及していく事態は当時、「21世紀型危機」と呼ばれた。再発を防ごうと日本はアジアの金融協力を主導してきたが、台頭する中国の存在で曲がり角を迎えている。

 「今の大学生たちはアジア通貨危機を知らない。あれからインドネシアは、大きく変わったから」

 横浜で5月に開かれたアジア開発銀行(ADB)総会のセミナーで、インドネシアのスリ・ムルヤニ財務相は、そう切り出した。

 1997年7月2日のタイの通貨バーツ暴落から始まった通貨危機は、インドネシアや韓国などに広がり、奇跡の高成長をとげるアジアを襲った。引き金を引いたのは、ヘッジファンドだった。ドルに連動していたアジア各国の通貨を割高とみて売り浴びせたのだ。為替介入で買い支えようとしたが、外貨準備が足りず、通貨を切り下げ、変動相場制へ移行した。

 成長を見込んで流入していた投資マネーも一気に国外に流出し、企業倒産が続出した。政府も自国通貨の下落で外国からのドル建ての借金が返せない恐れが出て、タイ、インドネシア、韓国が国際通貨基金(IMF)の支援を受けた。

 地域の大国、インドネシアの経済成長率は98年に、マイナス13%にまで落ち込んだ。暴動が起こり、銀行は閉鎖された。30年余り続いた開発独裁体制のスハルト政権が倒れた。

 スリ氏は2000年代に入って財務相など主要閣僚に就き、経済改革を断行、危機後の混乱から成長に導いた立役者として知られる。「縁故資本主義」と欧米先進国から批判を浴びるなか、税関の汚職退治にも腕を振るった。

 08年のリーマン・ショック後の世界的な金融危機の翌年も、インドネシアは5%近い成長を維持した。「(通貨危機後の)金融市場の立て直しがかぎだった」と胸を張る。外貨準備を増やしていた他のアジアの国々も持ちこたえ、高齢化など課題は抱えつつも「世界の成長センター」の座に再びついた。スリ氏は、若者が思い出すこともないほど、活力を取り戻したと言いたげだ。

 アジア通貨危機のまっただ中にあった97年9月14日の深夜。当時の日本の財務官、榊原英資氏の自宅に米国から電話がかかってきた。「君は僕の友人だと思っていたのに」。声は怒りに満ちている。相手は、当時の米財務副長官、ローレンス・サマーズ氏だった。

 怒りの矛先は、日本が実現に向…

有料会員に登録すると全ての記事が読み放題です。

初月無料につき月初のお申し込みがお得

980円で月300本まで読めるシンプルコースはこちら