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 「がんだったみたい」

 2年前、野球部の練習から帰宅した雄物川(秋田)の小川柊吾(しゅうご)君(3年)は、台所で夕食の準備をしていた母に告げられた。前日に父が腹痛に苦しみ、病院に行ったことは知っていた。

 「治るんだよね……」。声を振り絞ると、母は力のない声で「まだちょっとわからない」。部屋で1人になると、涙があふれてきた。

 小川君にとって、稲庭うどん職人だった父の稔さん(享年46)は、あこがれの存在だった。

 雄物川は父の母校だった。強打者として野球部を支え、社会人になっても草野球チームで本塁打を放つ。そんな父の背中を見て育った。小学3年の時、父がコーチをしていた少年野球チームに入った。中学では一度はバレー部に入ろうとしたが、それを知った稔さんは外で1人で涙を流したと、後になって母から笑い話で聞いた。

 稔さんは、誰よりも息子の母校進学を喜んだ。中学に続き、高校でも野球を続けると知ると、「良いグローブあったけぇ」と硬式用の野球道具一式を買いそろえてくれた。

 そんな父が病床に伏した。気になって部の練習に集中できない。練習後、高校から20分ほどのところにある横手市内の病院に駆けつける日々が続いた。

 がんは全身をむしばみ、病状は日に日に悪化した。風呂上がりに鉄アレイで鍛えていた腕は細くなり、ほおはこけていく。そんな姿を見るのがつらかった。

 昨年11月6日の深夜、容体が急変した。小川君は約5時間手を握り、「父さん、父さん」と声をかけ続けた。最初は手を握り返し、目を開けて反応してくれた。途中からは薄目を開けたまま、握り返さなくなった。そして……。

 ショックで学校を休みがちになった。ふさぎ込み、自分からは積極的に友達に話しかけられない。友達の励ましも耳に入らなかった。

 1カ月ほど経ったある日、父が夢の中に出てきた。

 「早く逝ってしまってごめんな」。そう謝られた。野球を教えてくれた頃の、元気な姿だった。

 小川君は、生前の父との誓いを口にしていた。

 「絶対ホームランを届けてやる。もし届かなかったらごめん」

 他の会話は覚えていない。ただ、にっこりとほほえんだ父の姿は、はっきりと覚えている。

 「父さんは、天国からいつも見ているんだ」。目が覚めた。練習に再び熱心に取り組んだ。練習後も、父に指導を受けた小学校のグラウンドで、弟と2人で打撃の特訓をしている。

 父は時々、母校の脇にある沼に自分のホームランボールが沈んでいると話していた。小川君は身長181センチ。父譲りのがっちりした体格だが、高校入学以来、柵越え打がない。いよいよラストチャンス。バットを振る腕に力がこもる。あの誓いを果たすために。

 「野球を教えてくれた自慢の父さんに感謝しています。夏の本番では本塁打を打てるよう頑張りたいです。一生懸命やってきたことを全力で発揮します」

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