[PR]

■ASEAN50年

 ASEANの地域大国として、外交で存在感をみせてきたインドネシア。外務官僚出身で、2009年~14年に外相を務めたマルティ・ナタレガワ氏に自らの経験や現状への考えを聞いた。

 ――米国がロシアとともに東アジアサミット(EAS)に初参加したのは、インドネシアが議長国だった2011年。どのように参加が決まったのでしょうか

 米国は09年7月に東南アジア友好協力条約(TAC)に入り、アジア重視の姿勢を鮮明にするようになっていました。そこで同年11月にシンガポールであった米ASEAN首脳会議の場で、私はクリントン国務長官に尋ねた。「米国はEAS加盟を真剣に考えているのか」と。真剣じゃないなら、時間やエネルギーを費やす必要はないから。その会話を通じて真剣だという確信を得たので、「よし、米ロのEAS加盟をインドネシアが11年に議長国をする際の主要な成果にしてみせよう」と思いました。だが予定よりも早く物事が進み、参加は11年ではなく、ベトナムが議長だった10年に決まりました

 ――なぜ米国が必要だったのですか

 ことは02年ごろにさかのぼる。当時は東アジアの共同体作りについて、マレーシアが主導する形で色々なアイデアが話し合われ、その基本は「ASEAN+3(日中韓)」の発展形というものでした。だが、当時は日中韓の関係にもっと楽観的な見方がされており、それでは新たな共同体においてASEANは中心的な存在でなくなると私は思いました。そこで、ASEANが中心になる仕組みにするため、豪州とニュージーランド、インドも入れようと主張しました。それなら地図で見ても、ASEANが中心に位置づけられます。

 ところが、05年にEASが始まるやいなや、ロシアが参加の意向を示しました。カンボジアやラオスなどがそうした意向を伝達してきました。我が国は「ちょっと待って」と反対した。米国抜きにロシアだけが入れば、違った力学が働いてしまうと考えました。私は「ダメではないが、今ではない。まずは米ロ抜きのEASを強化しよう」と主張しました。つまり、ASEANが中心になるビジョンを私は描いていました。

 ――その11年のEASで南シ…

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員に登録すると全ての記事が読み放題です。

初月無料につき月初のお申し込みがお得

980円で月300本まで読めるシンプルコースはこちら