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 「伊藤英二は終わった」。ネットで自分の名前を検索すると、いつものように中傷の言葉が目に飛び込む。

 「だるいな」

 まだ中学生だった仙台城南の伊藤英二(3年)はただ、そう思った。悔しさを押し隠していた。

 「怪物右腕」「天才少年」。かつての伊藤のあだ名だ。中学1年の夏、エースとして出場したリトルリーグの全国大会初戦で、大会史上初の18人連続三振で完全試合を達成。チームはベスト4まで進んだ。

 すぐにメディアが騒ぎだし、全国ニュースで取り上げられた。準決勝には10台近くのテレビカメラがベンチまで入ってきた。この大会で優勝を果たす東京北砂リトルの清宮幸太郎(現・早稲田実)とともに、大きな注目を浴びた。

 「あれだけの球を投げる中学生は見たことがない。プロでもやっていけると思った」。伊藤がいた北六バッファローズの当時監督だった早坂和宏(55)は振り返る。

 中1ですでに130キロ超の直球を投げ、投攻走すべてで桁違いの力を見せた。身長163センチ、体重68キロ。恵まれた体格に、誰もがその後の活躍を疑わなかった。

 だがその体格が、後に伊藤が味わう挫折の一因になる。小学2年の頃には声変わりが始まり、身長がどんどん伸びた。中学生離れした体格は、小4の頃にはほぼできあがっていた。あまりの成長の早さに、周りから病院に行くことを勧められた。

 「思春期早発症」。そう診断された。通常よりも2~3年程度早く、思春期による体や心の変化が始まる症状だ。体は早く成長するが、その後は小柄なままで身長が止まってしまう可能性が高いと説明された。

 中学に入ってしばらくすると、同級生たちの体格が自分を追い抜いていった。いずれはそうなることを覚悟はしていた。だが……。「ショックを受けるのも無理はない」と早坂。

 「伊藤英二だ、すげー」「結果を出して当たり前だろ」「思ったより背は伸びなかったな」。そこに周囲からの期待や、中傷の言葉が追い打ちをかけた。

 中1の夏に、リトルからシニアチームに移ったが、1年ほどで辞めた。学校にも行かなくなり、家でゴロゴロしたり、友達とたむろしたり。重圧の中でやる野球に、楽しさを見いだせなかった。

 それでも野球から「逃げた」という罪悪感は消えなかった。友達と遊んでいても、頭には常に野球のことが浮かんでくる。何をやっても、心の底からは楽しめなかった。

 中3の秋。伊藤は早坂に電話をかけた。

 「高校で野球がしたいです」

 この頃も、練習はほとんどしていなかった。だが、早坂が紹介してくれた仙台城南の監督、角(かく)晃司(57)は「一緒に周りを見返そう」と声をかけてくれた。自分も同じ気持ちだった。城南で野球をすることを決意した。

 投手から外野手となり、ベスト4に進んだ昨秋の県大会では4番を任された。だが、リトル時代のように順風ではない。春の大会は打撃が不調で、先発での出場はなかった。

 それでも今は吹っ切れた。「体格で超されても、練習でカバーすればいい」。身長はリトル時代と変わらないが、ウェートトレーニングで体重は80キロまで増えた。信頼できる仲間もできて、純粋に野球が楽しい。

 「やっぱり自分には野球しかない」

 少し遠回りはしたけれど、大切なことに気づけた。=敬称略