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 中国からお金が逃げ、人民元の下落が進んでいる。経済の変調を恐れ、中国の当局はなりふり構わず封じ込める構えだ。20年前、返還されたばかりの香港の通貨危機で知った国境を飛び越えるお金の流れの怖さ。それは「富強の大国」になった今も中国を悩ませている。

■中国悩ます「自由なマネー」

 7月1日、香港が中国に返還されて20周年の記念式典が、香港島の会議場で開かれた。「中央の権力への挑戦は絶対に許さない」。中国の習近平(シーチンピン)国家主席はそう訴えた。

 中国からの独立をめざす一部の動きを、強く牽制(けんせい)した形だ。体制を守るために力で押さえつける姿勢は、通貨防衛でも変わらない。中国が、国境を越えて動き回るマネーに対抗するすべを学んだのは、20年前の通貨危機だった。

 返還翌日の1997年7月2日、投機筋の攻撃によるタイの通貨バーツの暴落をきっかけにアジア通貨危機が始まった。

 香港は英国植民地の時代から、金融センターと位置づけられ、中国と外国を結ぶ貿易の中継地だった。取引を円滑に進めるため対ドル相場を安定させようと、1米ドルを7・8香港ドルに固定していた。

 アジア各国が相次いで通貨の対米ドル相場を切り下げたことから、その固定相場が「高い」と見られて狙われる。97年10月、投機筋が先物市場で本格的に香港ドルを売り浴びせたのだ。通貨当局の香港金融管理局(HKMA)は、豊富な外貨準備の米ドルを売って、香港ドルが安くなるのを食い止めようとした。投機筋が市場で売るための香港ドルを調達しにくくしようと、銀行間でお金を貸し借りする金利を引き上げた。

 ただ、金利上昇の副作用で景気が冷え込み、香港株は暴落した。それを見据えて投機筋は株の先物も売り浴びせ、香港ドルと株の両方で利益をあげる戦術をとった。

 HKMAは98年8月、外貨準備で香港株式市場のハンセン指数構成株の現物と先物を買い支える「前代未聞」の対策に出る。HKMAの任志剛(ジョセフ・ヤム)総裁(当時)は「投機筋が完璧に香港市場から去るまで措置を続ける」と表明。結果、投機筋は撤退に追い込まれた。

 この「香港ドル防衛戦」を中国は見守った。中央銀行、中国人民銀行の戴相龍(タイシアンロン)総裁は97年10月、香港紙の取材に対し、「必要があれば、あるいは香港からの要請があれば、中国政府は香港ドルを支える用意がある」と口先介入している。

 当時、中国は投資目的で流入するお金を厳しく制限していたため、危機に陥った他の国のように逃げ出すお金がそもそもなく、通貨危機の波及を免れた。

 アジア各国が相次いで通貨を切り下げており、中国の輸出にとって不利な状況だったが、98年3月の全国人民代表大会の記者会見で、朱鎔基(チューロンチー)首相は「元は切り下げない」と強調した。こらえる決断をしたことで、人民元の評価は高まった。

 中国が通貨危機で得た教訓は、資本規制の重要性だった。中国の金融機関幹部によると、人民銀行は90年代半ば、2000年までに国内外のお金の移動を完全自由化する構想を持っていた。外国からの資金流入や海外への持ち出しに制限を設けない状態だ。

 そんな構想は、アジア通貨危機で吹き飛んだ。

 10年後の08年12月、中国…

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