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 「人生はクローズアップで見れば『悲劇』。ロングショットで見れば『喜劇』。その時はつらく思えても長い目で見れば楽しい思い出になる」

 関節リウマチ患者の雨宮福子さん(69)=山梨県甲州市=は、今年の年明け、牧丘病院に入院していた時、チャールズ・チャプリンの言葉を引用した新聞記事を見つけました。病院関係者にお願いして便箋(びんせん)にメモしてもらい、「宝物のノート」に貼ってあります。この言葉は、小学3年生の時に発症して以来、ほとんどの時間を自宅で過ごし、関節の激しい痛み、はれ、こわばり、そして徐々に始まる変形といった病気を抱えつつ、今、一人暮らしをする雨宮さんの人生をどうとらえるか、ということにも通じるのではないかと感じました。

 

 ■治療できる環境がなかった

 関節リウマチは自己免疫の病気です。東京女子医大学付属膠原病(こうげんびょう)リウマチ痛風センター准教授の猪狩勝則さん(リウマチ関節外科)によると、男性と女性の割合は1:4で、40代から50代に発症する人が多いといいます。子どもの時に発症する若年性特発性関節炎(小児リウマチ)が進行し、成人になって関節リウマチに移行するため、早期に炎症を抑えることが重要になると言います。

 雨宮さんが暮らしているのは、山梨県甲州市郊外です。医師の偏在、専門治療ができる医療機関の偏在は今もありますが、雨宮さんが発症した当時は昭和30年代前半で、集落にある「開業医」を受診するのも、母におんぶをしてもらって行くしかありませんでした。1992年から主治医である牧丘病院院長の古屋聡さんは「福子さんが発症した当時は、痛みを抑えられるけど変形は抑制できない薬しかありませんでした」「当時は決定的な治療法はなかった」と話します。

 猪狩さんによると、治療薬の進歩に伴い、今、リウマチ治療をする医師の中心が、リウマチ外科からリウマチ内科に変わってきたと言います。ただ、生活の質を改善するような、関節が変形してしまった手足の指の手術ができる医療機関について、猪狩さんは「東京は恵まれていますが、地方では指の手術をしているところはまだ少ないです」と指摘しています。

 

 ■リウマチ患者の感覚やペースに合わせる

 治療やケアにかかわった医師や理学療法士、元ヘルパーの方々の中には、「心を開いてもらうまで、すごく時間がかかった」という人がいました。今でこそ「最期は古屋さんに看取(みと)って欲しい」という雨宮さんですが、古屋さんによると「最初はアウェーだった」と言います。リハビリを担当し、在宅復帰させた理学療法士の小林早苗さんも、「最初は距離感がありました。長い病歴、リウマチ患者の感覚や生活のペース、考え方を分かってくれる人だと、なじんでいくようでした」と振り返ります。

 患者でないと分からないことがあります。例えば、入院中にトイレのために看護師が手を貸そうとしても、リウマチ患者の場合、支え方があると言います。雨宮さんは、山梨県立中央病院に3回入院しましたが、「ベッドサイドのポータブルトイレを使う際、腰に手を当てて補助してくれた看護師さんが1人だけいました」と話していました。牧丘病院でのリハビリでも、リハビリ室に行くのではなく、「私のペースで、ベッドサイドや病室前の廊下を使って行ってくれたから助かった」と言っていました。

 「デイサービスを使えば、お風呂に入れてもらえるよ」といろいろな人に言われるそうですが、「私は体が硬く、どこかにぶつけてはいけないと思って気を張っています。そんなリウマチ患者のことを分かってケアしてもらえるだろうか」と躊躇(ちゅうちょ)しています。

 古屋さんの訪問診療も、夕方か夜です。雨宮さんは「リウマチ患者は1日の中で朝起きてから午前中が一番つらい。関節が硬く、こわばっているからすぐ動き出せないんです。だから、今も夜は寝たくないほど。普通の人は分かってくれませんけどね……」と漏らしていました。

 

 ■悲観や苦労と見るのか

 雨宮さんを取り上げた連載「患者を生きる」には、訪問診療する医師は登場しますが、在宅医療や介護でみなさんが想像する訪問看護師やヘルパー、訪問リハビリの人たちは出てきません。過去にはヘルパーをお願いしていた時期もありましたが、今は利用していません。

 障害を抱えつつも、「ミニマム(最低限)の在宅医療やケア」(古屋さん)で暮らしています。

 「もっとサービスを使えばいいのに……」と感じる人が多いかもしれません。雨宮さんを診る医療関係者も同じことを感じています。ただ、同時にサービスを利用すれば、自己負担も生じてきます。

 雨宮さんには、周囲に経済的な負担をかけたくないという思いがあります。子供の頃は、両親に勧められて全国紙を読んでいましたが、その後は購読料が安い地元紙にかえ、今はそれさえもやめました。難視聴地域が多い山梨県は、ケーブルテレビが発達していますが、これにも加入していません。障害年金を大切に使って暮らしています。

 例えば、食事の話。県内に住む妹さんが、毎週、冷凍おむすびやカレー、煮物などを持って来てくれているといいますが、野菜は丸ごと電子レンジで温野菜にすると、やわらかくなるので雨宮さんの力でも包丁で切れると言います。温野菜をお酢で食べるそうです。患者ならではの生活の知恵だと感じました。

 これを、悲観や苦労と見るのか、見方は分かれるでしょう。

 4月から雨宮さんと何度もお会いして話していると、聡明(そうめい)さに気づきます。「私は、地元の昔話をされるより、今、ニュースでやっている話題の方が話しやすいの。子どもの頃に発症し、家の中で暮らしてきた。地元の話をされると黙ってしまうのは、そういう理由」と打ち明けてくれました。

 雨宮さんは、NHK総合の『総合診療医 ドクターG』を見ながら、出演者の研修医と一緒に症状から何の病気かを推理するのが大好きです。古屋さんが雨宮さん宅に時々連れてくる医学生や研修医と話が合うのも、雨宮さんの方が患者歴が長く、生活の中での闘病に詳しいからです。雨宮さんにとって伝える情報が多く、医学生や研修医にとっては学ぶ情報が多いから、話がかみ合うのだと感じました。

 取材でロングインタビューをしている時、2000年代に登場した新薬の生物学的製剤について聞いたことがありました。

 「今は(人生が)終わる方が近くなってきているので、あまり考えていないかな。私が生まれたばかりに、父も母も兄も苦労させたかな。そういう時代だったのかな。後々発症した人が、薬で良くなったのは良かったと思っています。時代が悪かったのかな。母は、元々看護師をやっていたから、一番悔しかったと思います」

 当時、できるだけのことをしてくれた両親に、深く感謝していました。

 

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<アピタル:患者を生きる・我が家で>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(岩崎賢一)

岩崎賢一

岩崎賢一(いわさき・けんいち) 朝日新聞記者

1990年朝日新聞社入社。くらし編集部、政治部、社会部、生活部、医療グループ、科学医療部などで、医療を中心に様々なテーマを生活者の視点から取材。テレビ局ディレクター、アピタル編集者を経て、現在は連載「患者を生きる」担当。『プロメテウスの罠~病院、奮戦す』、『地域医療ビジョン/地域医療計画ガイドライン』(分担執筆)