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 (1996年決勝 松山商6―3熊本工 その1)

 2016年10月22日、熊本市の藤崎台県営野球場。熊本工を代表し、星子崇がマイクを握った。ファンに感謝を述べた後、少し照れくさそうな顔をした。

 「本当に、えーと、幸せでございます」

 温かい拍手が沸いた。

 第78回全国選手権大会決勝で熱戦を演じた松山商と、20年ぶりの再戦。この企画が動き出したのは、昨年4月、熊本を大地震が襲った後だ。星子が、松山商の主将だった今井康剛らに、「やろう。今年しかない」と強くお願いした。

 星子は当時の3年生全員を誘うことにこだわり、連絡先が不明だった仲間は探し出した。協賛企業探しや演出を練るため、睡眠時間を削った。「星子が熱すぎて、こっちも遊び気分じゃいられなくなった」とマネジャーだった上木卓が笑う。

 この日、参加したのは熊本工から20人、松山商からは当時の沢田勝彦監督ら13人。雨で試合は延期となったが、トークイベントや応援歌の演奏はファンを楽しませた。何より当時のユニホームに身を包んだ本人たちが楽しそうだった。

 私は不思議だった。何が星子を駆り立てるのか。星子こそ、あの決勝に苦しめられてきたのではないか。

「なんとなく決勝の話はできなかった」

 1996年8月21日、甲子園。4万8千人の観衆が沸き返った瞬間、星子は、本塁上で灰色の空を仰いでいた。上半身を起こすと、地面に向かって右拳を振り下ろした。

 熊本工にとって、熊本勢にとって、初の全国制覇は目前だった。

 十回裏1死満塁。熊本工の本多大介の打球はライトへ高く上がった。ベンチは総立ち。右翼手が捕るのを確認した三塁走者の星子は、ベースを左足で蹴った。本塁まで約27・4メートル。そのわずか手前、捕球した捕手のミットが顔をかすめた。アウト。星子は倒れ込んだ。「奇跡のバックホーム」と語られるこのプレーに流れを変えられた熊本工は、十一回表、3点を奪われ、負けた。

 伝統校である熊本工が夏の選手権大会で準優勝を果たしたのは実に59年ぶりのこと。前回の37年は、後にプロ野球・巨人で活躍した川上哲治がエースだった。87年の選抜大会を最後に甲子園では8強に入れず、93~95年は、夏の甲子園に届かなかった。社会人野球から田中久幸を監督に招き、1年目で見事に殻を破ってみせた。

 しかし、準優勝を祝う地元テレビの番組には、笑顔の選手の中、うつむきがちな星子が映っている。「仲間内の飲み会でも、星子の前では、なんとなく決勝の話はできなかった」と本多が振り返る。当時のチームメートの結婚式の余興で決勝の映像が流れ、気づくと星子がいなくなっていたのを覚えている。

ライトが捕る前に、スタートを切った

 人生を変えた、タッチアップ失敗。星子が、自身の走塁を悔いたことはない。「最高のスタート」をした自信があったからだ。

 三塁ベースを蹴る直前、1学年下の三塁コーチ、錦野秀彰から「スタート、慎重に行きましょう」と進言されていた。星子は、50メートルを6秒弱で走る。それでも錦野ほど楽観してはいなかった。

 ライト方向から吹く風は、だんだん強くなっている。打球を押し戻し、返球に勢いを与えるだろう。加えて、直前に交代出場したライトは体が大きく、肩が強そうに見えた。

 スタートを切ったのは、「ライトが捕るか捕らないかのタイミング。正直に言えば、捕る前だったと思う」。

 生還すれば、初優勝。甲子園が沸き、歓喜の輪ができる――。そんな雰囲気の中、松山商は「スタートが早かった」とアピールすることができるだろうか。「できないと思うね。もしアピールして三塁塁審が認めたら仕方ない」

 そこまでの覚悟を持った走塁だったからこそ、アウトの宣告を信じられなかった。全力で走ったし、捕手のタッチより先に、自分の右足がベースに届いていると確信を持っていた。

 「野球をやっていて、勝ったらうれしいし、打てなかったら悔しい。でも、楽しいと思ったことは一度もない」。そう星子は言う。

 もともと好きだったのは、サッカーだ。中学生の頃、近い将来、プロ化されると耳にした。「これからはサッカー。かっこいいし」。それでも熊本工に進んだのは、自分が野球をすることを家族が望んでいると知っていたからだ。

 社会人野球2年目に腰痛を悪化させたことが、野球から引退した理由だ。だが、本当はプレーを諦めるほどの重症ではなかった。「ケガを言い訳に、どこかで野球に区切りをつけたかったんだと思う」

 あの夏、タッチアップでアウトになったことで、野球嫌いに拍車がかかったのかもしれない。

 熊本に戻って飲食店で働き始めても、素性が知れると「アウトの星子」と呼ばれた。「本気で走らなかったんじゃないか」「お前のせいで負けた」。そう言う人もいた。

 「セーフだったら、どんな人生だったんだろう」。星子がそう考えたのは一度や二度ではない。