【パノラマ写真】YS11量産1号機のコックピット=飯塚晋一撮影
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 戦後初の国産旅客機YS11の量産1号機が、東京・羽田空港の一角でひっそりと眠っている。歴史的な価値は高く、1998年の現役引退後、展示する構想もあった。だが、羽田の国際化でスペースがなくなり立ち消えに。人目に触れることなく保存されてきたが、新たな出番を探る動きも出てきた。

 7月21日午後、羽田空港旧整備場地区。がらんとした民間の格納庫に、黒いシートをかぶったYS11があった。この日は午前中、エンジンを回す年1回の整備があった。白い機体は少しくすんでいるが、さびはない。カバーを外したターボプロップエンジンは現役時代と同様、鈍く光る。

 「多少の油漏れはありますが、オールグリーン(すべて正常)。頑丈な機体です」。国立科学博物館(科博)で保存を担当する鈴木一義・産業技術史資料情報センター長が、集まった関係者に胸を張った。操縦席にずらりと並ぶアナログ式の計器も、電源を入れると正常に動き、「飛べるように戻せる状態」だという。

 この機体は、2機の試作機を基に改良を重ね、量産化に道筋をつけた1号機で、64年に初飛行した。運輸省(当時)が空港の灯火や誘導施設の検査に使い、98年に引退。99年に科博が引きとった。「YS11のなかでも特に記念碑的価値の高い機体」として、日本機械学会が「機械遺産」に認定している。

 鈴木氏によると、引退当初は産業界を中心に、羽田での航空博物館の設立構想があり、戦後の技術史を伝えるため、展示が想定されていた。管理を担った科博は、現役の状態を維持するため屋内格納庫に保管し、エンジンを回すなど年4回の整備や点検を18年間続けてきた。だが、羽田空港の国際化で敷地に余裕がなくなり、産業界の熱も冷めて構想は立ち消えになった。巨大な機体は東京・上野の科博本館には収納できず、行き先は白紙だ。

 2010年には、格納庫での年間約900万円の維持費が民主党政権の事業仕分けの対象となった。「早期に常設展示を」と指摘され、科博が航空イベントなどで一般公開を進めたが、ビジネスジェットの駐機場工事の支障になるなどの理由で、15年を最後に一般公開は途絶えている。

 こうした現状に、NPO法人「羽田航空宇宙科学館推進会議」(HASM)は危機感を抱く。88年の発足以来、羽田での航空宇宙科学館の設立を国や東京都などに求めてきた。運営委員で写真家の近藤晃さん(80)は「日本の技術を語り継ぐ機体が、このままでは金食い虫と批判され、スクラップにされかねない」と懸念する。

 そんな中、相模原市内で展示の構想が浮上した。元日本航空機長でHASM会員の宮崎雄一郎市議(51)が、昨年3月の市議会で、米軍施設の跡地での航空宇宙展示施設を提案。整備があった7月21日には、市職員と羽田の格納庫に視察にきた。「市内には宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設もあり、航空宇宙には縁深い土地。YS11が来たら目玉になる」と意気込む。

 科博の鈴木氏は「価値ある機体。壊す方向では誰も考えていない」としつつ、「展示すれば傷みも出る。最もいい形で見てもらえるよう、可能性を探りたい」と話している。(工藤隆治)

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 〈YS11〉 全長26・3メートル、全幅32メートルの双発プロペラ機。戦後の航空機製造禁止が1950年代に解除され、官民共同出資の「日本航空機製造」が開発。愛知県の三菱重工業小牧工場で最終の組み立てをした。64年の東京五輪で全日空が聖火の輸送に使うなど戦後復興の象徴となり、各地の旅客便や海上保安庁で活躍した。182機が造られたが、採算が取れず73年に生産を終えた。国内では航空自衛隊が飛行点検などに使う8機が現役で残る。試作1号機は航空科学博物館(千葉県)が展示している。