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 滋賀県勢の目標はこの30年間、一貫していた。「初の甲子園優勝」。その悲願に最も迫ったのが83回大会(2001年)の近江だ。

 原動力は「三本の矢」と評された投手陣。140キロ台の直球主体の本格派竹内和也=元西武=、カーブが持ち味の左腕島脇信也=元オリックス=、右横手の清水信之介。この継投で県勢初の決勝に勝ち上がった。

 「継投は甲子園に出場するための策だった」。1989年から近江を率いる多賀章仁監督は明かす。2001年の春季県大会決勝で八幡商に敗れ、夏の対抗策として編み出したのが3人のリレーだった。先発竹内の球に相手打者が慣れた頃、島脇にスイッチ。緩急の差で惑わせた後、強心臓の清水が最後を締める。結局、滋賀大会で八幡商と対戦することはなかったが、この策は甲子園で生きた。

 多賀監督にとって印象深いのは松山商(愛媛)との準決勝だ。3人の継投で失点を抑えながら終盤に島脇の本塁打などで5―4の逆転勝ち。伝統校を破っての決勝進出だっただけに多賀監督は「まさか。雲の上を歩くような感覚だった」。決勝は強打の日大三(西東京)に長打を1本も許さず健闘。2―5で敗れたもののブルーのユニホームとともに「近江旋風」は全国にインパクトを与えた。

 この快進撃は県高野連が総力で強化を図っていた時期と重なる。00年12月には県の選抜チームを結成し、台湾遠征を実施。「全国制覇に向けた県全体の努力があの準優勝につながった」と多賀監督は振り返る。

 ただ、この大会以外、県勢はここ30年、夏の甲子園で8強に進出したチームさえいない。出場回数では近江(11回)、八幡商(7回)、比叡山(4回)の3強が優勢だが、全国の舞台での結果は伸び悩む。

 県高野連の大久保雅生理事長は「投手力、守備力は全国で通用する力があるが、打撃は勝ち上がる力がない」。卒業後を見ても、投手では球界を代表する右腕となった楽天・則本昂大が八幡商出身だが、野手で秀でた実績を残した選手は見当たらないのが実情だ。

 大久保理事長がヒントと見るのは北大津だ。無名の公立校だったが、86回大会(2004年)に初出場。その後、春3回、夏2回の甲子園出場を果たした。宮崎裕也監督は1日1千スイング以上を課して強打のチームを作り上げ、選手の自主性を尊重した指導でも注目された。中西健太=元ソフトバンク=、石川駿=中日=の野手2人をプロに送り出している。

 近年は少年野球の有力選手が大阪など県外の高校に進学するケースが多い。それでも大久保理事長は「県内にとどまってもらえるように、魅力的な野球ができる環境を作らなければならない」。全国制覇に向けて、湖国の挑戦は続く。(岩佐友)

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