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 1年前に神奈川県相模原市の障害者施設で起きた事件を思い、熊本地震で被災した母と障害がある娘が詩をつくった。奪われた入所者19人の尊い命が問いかけるものとは……。「障害者も地域の中で生きている。あなたの隣にいる誰かと同じだよ」と2人は訴える。

 熊本県益城町の高校2年生、橋村ももかさん(16)は脳性まひの障害を持って生まれた。車椅子で暮らし、中学生になる前には気管を切開。声も失った。両目の瞬きと足の動きでコミュニケーションをとる。

 昨年4月の熊本地震で、両親と妹、弟と暮らす一軒家が全壊した。避難所暮らしや車中泊を経て、昨年7月、仮設住宅に移った矢先、「津久井やまゆり園」で事件が起きた。

 「こんなこと本当に起こるのって、信じられない気持ちが大きかった」と母、りかさん(45)。19人が殺害された事件の実感と悲しみがこみ上げてきたのは、遺族の意向を受けた警察が犠牲者の氏名などを公表しないと知ったときだった。

 「それぞれに好きなもの、嫌いなものがあり、人生があったはず。すべて否定されるの?」。匿名を望む家族には計り知れない事情があると想像する。一方で、思った。「障害者だから名前を伏せなきゃいけない、この社会って……」

 りかさん自身、講演などを依頼されたとき「仮名にしますか?」と聞かれたこともある。「ももかという人間がこうして生きていることを知ってほしい」と、実名を出してもらった。

 生まれた時、幸せを願ってつけられた名前があります。

     ◇

 転機は、小学校への入学だ。特別支援学校に入れるつもりだったが、地元の津森小学校の先生に「地元の学校も選択肢に入れてもらえませんか」と言われた。

 「最初から特別支援学校と決めつけていた私も、どこかで差別していたのかもしれない。『あなたのため』と、親でも排除してしまうことがある」とりかさんは思った。家族で話し合い、津森小に入学。掃除当番のときは車椅子にモップをくくりつけてクラスメートに押してもらった。

 全校児童90人ほどの地元の学校に通ったことは、熊本地震のときにいきた。

 町を2度目の震度7が襲った昨年4月16日。車椅子を消防団のトラックに載せてもらい、近くのスイカの選果場に避難した。まわりの人たちが駆け寄ってきて「ももちゃん、大丈夫だった?」と言ってくれた。避難所の人たちは、車椅子でも動きやすいようにとスペースを確保してくれた。

 今の仮設住宅は入り口が狭く車椅子では中に入れない。それでもりかさんがバリアフリーの仮設住宅を選ばなかったのは「地震を乗り越えた地域の人と一緒にいたい」との思いから。「大事なのは、人とのつながりだと思ったんです」

 好きな人、苦手な人、がいます。そして、大好きな人もいます。

     ◇

 やまゆり園の事件から1年となるのを前に熊本市で追悼集会が開かれることになり、主催者から文章を頼まれた。りかさんがももかさんの思いを確認しながらつくった詩は、集会のアピール文として採択された。

 私たちは、ひとりひとり、ちがいます。

 そして、ひとりひとり、生きています。

 私たちを、殺さないで。

 私たちは、みなさんと共に、生きていきたい。

 家族でレストランに行ったときも、ももかさんは胃ろうで食事する。周りの子どもたちが近くに寄ってきてじろじろ見る。そんなとき、「おなかからご飯を食べるんだよ」と伝えると、子どもたちは「ももちゃん、すごい」と驚く。

 ももかさんは自分の思いを伝える手段を身につけようと、いまは特別支援学校で先生や介助者の支えを受けながら、文字の書き方を練習している。「どんどん表に出ていく。そんなももかの生きる姿をみんなに見て、知ってもらいたい」(池上桃子)

■ももかさんとりかさんの詩の全文

 私たちは、ひとりひとり違います。

 生まれた時、幸せを願ってつけられた名前があります。

 好きな食べ物、嫌いな食べ物があります。

 好きな色があります。

 好きな香りがあります。

 好きな音楽があります。

 好きな人、苦手な人、がいます。そして、大好きな人もいます。

 時々、わけもなく嬉(うれ)しくなったり、少し、寂しくなったりもします。

 今日は、疲れたなー、と、思う時もあります。

 楽しい!楽しい!と、思う時があります。

 悲しくて、泣き叫びたい時も、あります。

 鳥の声と共に空に駆け上がり、祭囃子(ばやし)に胸を躍らせ、空を赤く染める夕日に今日の一日を思います。

 私たちは、ひとりひとり、ちがいます。

 そして、ひとりひとり、生きています。

 私たちを、殺さないで。

 私たちは、みなさんと共に、生きていきたい。