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■ナガサキノート:この場所で

 長崎市西坂町の西坂公園。長崎港を見下ろす丘は、16世紀末にキリスト教禁教令の下で布教していた宣教師や信徒26人が処刑された場所とされる。現在は教会と資料館が建ち、潜伏キリシタンのたどった歴史などを伝える場所になっているが、72年前には「お寺」があり、原爆後には仏教徒らが祈りを捧げた。

 現在の西坂公園の場所に真宗大谷派(本山・東本願寺)が説教所(教務所)を建てたのは昭和初め。西坂の隣、御船蔵町で生まれ育った被爆者の森田博満さん(82)には、説教所近くに住む友人がいた。「寺の敷地や、西坂に上がる100段以上ある階段でよく遊んだ。大きなお堂がたっていた」と懐かしむ。

 だが1945年8月9日に原爆が落とされると、辺りの風景は一変した。西坂や御船蔵は爆心地から2キロ前後離れていたが、森田さんによると閃光(せんこう)から間もなく、茅葺(かやぶ)き屋根に火がつき、一帯は大火に見舞われた。説教所周辺は焼けずに残ったが、爆風で大破した。

 西坂の丘はその後、遺骨の集積場所になった。原爆後、市内のあちこちに引き取り手のいない遺体が残されていた。真宗大谷派長崎教区が今年6月にまとめた「非核非戦記録集」によると、米軍が爆心地近くに飛行場を作るという計画を聞いた門徒らは、遺体が弔われずに埋もれてしまうのを見過ごせず、46年3月ごろからお骨を拾い始めた。範囲は長崎駅付近から道ノ尾あたりまで及んだという。西坂はそうしたお骨を集める場所の一つとなり、うわさを聞いた門徒以外もお骨を持ち込んだ。46年10月には集まったお骨を前に、原爆殉難者を弔う法要がとり行われた。

 西坂の丘はその後、県や長崎市…

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