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ナガサキノート:この場所で

 鮮やかなオレンジ色が目立つ観覧車がランドマークの長崎市茂里町。休日ともなれば、大型商業施設は家族連れや若者でにぎわう。

 ここに、72年前の面影を見つけるのは難しい。爆心地から約1キロ。多くの工員や動員学徒がいた三菱長崎製鋼所では、1400人余りが帰らぬ人となった。骨組みだけになった工場の写真が、爆風のすさまじさを物語る。

     ◇

 「ココウォークの辺りには製鋼所の食堂があって、毎日通っていました」。そう教えてくれたのは、瀧野佐和子さん(91)。製鋼所での被爆体験を語れる、数少ない一人だ。

 当時19歳。現在の長崎新聞社近くにあった事務所で、庶務係をしていた。原爆が投下されたのは、3階の自分の席で仕事をしている時。窓の外に黄色い光を感じ、とっさに机の下に潜ったが、ほどなく気を失った。「南側の部屋だったのが、不幸中の幸いでした」。爆心地に近い北側の部屋にいた同僚は、何メートルも吹き飛ばされていたという。

 何時間たったかわからないが、目が覚めるとがれきに足を挟まれていた。何とか抜けだして階下に下りると、多くの同僚たちががれきの下敷きになり、動けなくなっていた。動ける数人で助けようと試みたが、重い鉄骨や窓枠はびくともしなかった。

 近くの防空壕(ごう)に逃げようとした瀧野さんは、目の前の景色に戸惑った。そこにあるはずの建物が消え、まっすぐ進めたからだ。周辺では、まだ火の手を上げる工場もあった。

 事務所があった場所には「今でも何となく足が向かない」という。タクシーに乗る時も回り道を頼むほどだ。「お参りに行かんばいかんとは思っているけど……」。瀧野さんはもどかしいような、複雑な表情を見せた。

 戦後、事務所でともに働いた同僚とは一人も会えていない。多くの仲間を失ったあの場所を、心が拒んでいるのだと感じる。「思い出したくないんでしょう。あの日のことは、目の奥にずっと焼きついていますから」

   …

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