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 「笑顔でいけー!」。明桜(秋田)は大きくリードされても、ベンチ内で明るい言葉が飛び続けた。監督不在というピンチを乗りこえ、甲子園出場を果たした選手たちは最後まで笑顔を絶やさなかった。

 昨年9月、チームは不安が渦巻いていた。秋の県大会で敗退後に監督が退任。それまでも短期間で交代が繰り返されていたが、今度は不在。学校は後任の公募に乗り出したものの、しばらく決まらなかった。

 隣接する大学からコーチが指導に来てくれたが、全員が寮生の選手にとって、監督の存在は大きい。「甲子園、行けるかな」。互いに漏らすこともあった。

 それでも、逆境を「成長の機会として捉えた」と副主将の岩城圭悟君(3年)は振り返る。主将の早川隼喜君(同)を中心に「自分たちは何が足りないのか」と毎日話し合い、練習内容を考えた。

 雪でグラウンドが使えないなら「振る数と実践を両立させよう」と、室内練習場でマシンと打撃投手を並べた。長靴をはいた雪かきや雪上でのタイヤ引きで足腰を鍛え、ウェートトレーニングの方法はインターネットで調べた。試行錯誤の日々だった。

 新しく輿石重弘監督(54)がやってきたのは、4月。山梨県出身で、秋田にはゆかりもない。帝京三(山梨)などで監督をした後、昨夏に野球指導から引退。明桜が監督を公募しているという記事を見た妻から教えてもらい、再び甲子園を目指そうと決めた。

 職を辞し、家族を山梨に残してきた輿石監督が最初に選手に求めたのは「将来の目標」という作文。「甲子園出場」と書いた選手の文章に、「一緒に夢をかなえよう」と書き加えた。

 寮生活で寝食まで一緒にし、選手が失敗しても「惜しいなあ」。冬の練習は「自主性が育まれた」と評価してくれた。そんな輿石監督の下で、笑顔の絶えないチームになっていった。

 「おやじ(輿石監督)を日本一に」を合言葉に、監督就任から4カ月でつかんだ甲子園。8年ぶりで、秋田経法大付時代を含めて9回目となった選手権大会の初戦は二松学舎大付(東東京)に2―14と大きく負け、悔しさが残るプレーもたくさんあった。しかし、「楽しかったです。この経験は宝物」と早川君は笑顔で胸を張った。(神野勇人)

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