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(13日、高校野球 天理6―0大垣日大)

 3年ぶりに甲子園に臨んだ大垣日大(岐阜)。0―6で敗れたこの日の天理(奈良)戦で、最後の打席に立ったのは、「裏方」としてチームを支え続けた控えの3年生捕手だった。

 九回1死一塁、代打で阪口浩輝君が右打席に立った。2球目、引っ張った当たりは遊撃手の正面へ。一塁に頭から滑り込んだが併殺に倒れた。試合後、「先生に恩返しがしたかった」と目を赤くした。

 浩輝君が「先生」と呼ぶのは、母方の大叔父で、甲子園で優勝1回、準優勝3回の経験を持つ阪口慶三監督(73)だ。浩輝君が5歳のとき、阪口監督が指揮していた東邦(愛知)の試合を見て憧れた。「僕が高校野球をやるまでやめないでください」と伝えた。

 出身の愛知県岩倉市の中学校を卒業後、阪口監督が2005年から指揮している大垣日大に進学した。

 念願の監督の下での高校野球。1年生の時、チームは岐阜大会ベスト4、2年生では準優勝と着実に甲子園に近づいていった。

 思いがけない逆風もあった。1年生でメンバー入りすると、「(監督の)親戚だから」と周囲にからかわれることも。練習に身が入らない時期が続いた。

 転機は、新チームになった昨秋の県大会2回戦。試合前のブルペンで、石川隼也君(3年)の球が荒れていると感じたが、監督に強くアピールできなかった。結果、石川君は途中降板。「あの時、もっと強く言っていれば」。後悔が残った。

 「何と言われようと、裏方として出来ることをやろう」と意識が変わった。

 冬場はピッチングマシンで1日300球を受けた。ベンチに戻った投手に「ちょっと浮いているから低めの意識で」と積極的に声もかけるようになった。気がつけば周囲のからかいの声は聞こえなくなっていった。

 この日も、試合前の練習ではエースの修行恵大(しゅうぎょうけいと)君(2年)、試合中はベンチ脇で2番手の杉本幸基君(2年)の球を受け、「お前なら行ける」と背中を押し続けた。

 最後の打席も「チームのためにつなげる」と胸に秘めて臨んだ結果だった。

 浩輝君は「最高の仲間と野球ができた。後輩たちには全国のてっぺんを目指してほしい」。晴れ晴れとした表情で語った。(松浦祥子)