私の父は「幻の要塞(ようさい)」の建設部隊長でした――。そんな手紙が朝日新聞に寄せられた。送り主は神奈川県平塚市の山家(やまが)和江さん(90)。旧関東軍が戦時下、中国東北地方の山岳地帯に構築し、今世紀になって存在が確認された「大興安嶺(だいこうあんれい)要塞」。その建設部隊の本部で、自らも軍属として働いていたという。

民間人装う「マル拓バッジ」

 2008年に現地を訪れた日中共同調査団に同行取材した記者が、山家さんに当時の体験を聞いた。

 山家さんの父は山家正大佐(1889~1945)。43年4月から約半年間、旧満州国で軍事施設の建設を担当していた関東軍築城部の第2築城部隊長を務め、現地に滞在した。10人きょうだいの6番目の四女だった和江さんは、強く父に要望され、軍属として一緒に赴任した。

 学生だった山口淑子(李香蘭)を歌手として満州映画協会に紹介したことや、「男装の麗人」川島芳子との連絡役で知られた北支那派遣軍将校の山家亨中佐は、山家大佐のいとこだった。

 関東軍築城部は築城司令部の下に三つの建設隊があり、山家大佐がいた第2築城隊は、通称「第359部隊」と呼ばれた。同隊の建設現場は大興安嶺山脈のただなかで、ハルビン(哈爾浜)と国境の街、満洲里(マンチュリ)を結ぶ鉄道「浜洲線」の烏奴耳(ウヌール)駅の北東にあった。部隊の本部建物は、烏奴耳から12キロ離れた東隣の哈拉溝(ハラコウ)信号場駅の南側に接して作られていた。同駅は存在自体が秘密とされていた。

 本部には、小学校の木造校舎のような平屋の細長い建物が3棟並び、周囲に隊長宿舎や将校集会場などが順次作られた。隊員は全員「満服」と呼ばれる民間人の服装。識別のため、隊員は左襟に「拓」の1文字が入った真鍮(しんちゅう)製の丸いバッジを着けていた。「マル拓バッジ」と呼ばれていた。

 本部には庶務、通信科、作業員…

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