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 プロ野球史上初の300勝投手となったロシア出身のビクトル・スタルヒン(1916~57)。少年時代を過ごし、「旭川スタルヒン球場」に名を残す北海道旭川市がゆかりの地として知られるが、墓は秋田県横手市の雄物川町にある。今年で没後60年。人々の記憶に生き続ける大投手は旭川と秋田の新たな絆を生んでいる。

 スタルヒン生誕100年の昨年9月。「旭川スタルヒンズ」と「雄物川ヴィクトルズ」の草野球の親善試合が旭川市で行われた。雄物川町側は選手全員が56歳以上の「雄物川スタルヒン杯550歳野球大会」の選抜メンバーだ。

 2試合を戦って、互いに1勝1敗。招いた旭川側は「秋田はレベルが高い」。招かれた雄物川町側は「細かい気配りで歓迎してもらった」と、それぞれ楽しい思い出を残した。

 その前年、旭川市での生誕100年の記念事業の話し合いに参加した住民団体「八条スタルヒン通り会」が、同町の野球チームの招待を思いついた。スタルヒンが眠る町だからだ。

 スタルヒンはロシア革命を逃れた両親と9歳で来日。約190センチの長身から投げ下ろす豪速球で戦前から巨人のエースとして活躍し、大映に移籍した49年には27勝を挙げるなどスター選手の一人だった。

 57年1月、東京都内で車を運転中、路面電車と衝突して死亡。妻久仁恵さんの希望で、久仁恵さんの実家の崇念寺に埋葬された。

 14年後、久仁恵さんも49歳で死去。同じ墓に入った。2人が眠る墓には、野球のボールをかたどった丸い石が置かれ、いまも県内外から野球関係者ら多くの人が墓参に訪れる。

 親善試合が生んだ交流は深まりつつある。来月には旭川秋田県人会のメンバーが横手市を訪問。一方、旭川市の「八条スタルヒン通り会」もスタルヒンの写真パネル展を秋田銀行の旭川支店で計画している。パネルは旭川時代の写真など約20枚。親善試合をきっかけに同支店が快諾した。

 雄物川スタルヒン杯は来年、10回目を迎える。実行委員長で親善試合で先発した藤原斉さん(68)は「記念大会で旭川の人たちと交流できないか考えたい」と思いを巡らせる。

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