マドロス帽、派手な上着姿でギター抱えて――。独特のスタイルで岐阜県高山市のネオン街を歩いた、夜の高山の名物男、流しのケンちゃんが、この夏急逝した。81歳だった。

 8月16日に亡くなったケンちゃんの芸名は「星健二」、本名は渡辺武さん。恵那市出身で、若いころはセールスマン、土木作業員、バーテンダーと職を変え、26歳の時、名古屋市で流しの歌手の道に入ってからも居場所は定まらなかった。だが54年前、富山県経由で高山に来てからは、すっかり腰を落ち着けた。

 赤ちょうちんが連なるネオン街の朝日町には当時6~7人の流しがいて、みな羽振りがよかったという。後に「奥飛驒慕情」で世に出た演歌歌手、竜鉄也さんは流しの後輩にあたる。

 カラオケが普及した1980年代以降、渋い歌声を聞かせる流しの出番は激減。仲間が次々にいなくなった後もケンちゃんは働き続け、やがてたった1人に。だが80歳を過ぎても一晩20軒以上の居酒屋やスナックを回り、声がかかるのを待った。客の歌にギターで伴奏したり、酒に付き合って身の上話を聞いたり。

 「お客に何言われても、入り口で断られても、いつもにこにこして、ずっと低姿勢だった」と話すのは30年以上前からケンちゃんを知る、市内の歯科医、垣内生知さん(67)だ。

 垣内さんはこうも懐かしむ。「太くて低い声で歌うケンちゃんの『雪が降る』は高山の冬によく合いました。昔のまんまの流しの時代がとうとう去った気がして、寂しいなあ」

 ケンちゃんが高山に落ち着いた大きな理由は、高山出身で、居酒屋で働いていた勝子(まさこ)さん(75)と結婚したからだ。1男1女を育てあげて、家も建てた。

 「家では電球1個換えなかったけど、毎日ギターは手にしていました。売り上げも減って苦しかっただろうけれど、愚痴は言わなかったです」と勝子さん。そしてこう振り返る。

 「高山のお客さんやお店のあったかな人情に支えられたから、こんなに長く流しの仕事ができた。ありがたいし、幸せな人でした」

 亡くなる前日の8月15日夜もいつも通りにネオン街へ出かけ、深夜に帰宅。入浴中、心臓の病気で亡くなっているのを、勝子さんが見つけた。生涯現役の人生だった。(永持裕紀)