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 大阪の芸能や習俗などを描いた「きり絵」作家の故・加藤義明さん(1931~2010)の作品群が、散逸の危機にある。切り絵を美術の域へと高めた作家の足跡を伝えようと、寄贈作品を収蔵してくれる美術館を弟子らが探している。

 加藤さんは大阪市東住吉区生まれ。市内に空襲の焼け跡が残る1949年、18歳でデザインの道に入った。当初は油彩画を中心に雑誌のカットを手がけ、10年後から切り絵にも取り組んだ。源流とされる中国の民芸を新聞記者に紹介されたのがきっかけだったようだ。

 転機は35歳だった66年。初の個展で油彩画と切り絵を並べると、切り絵の方が好評だった。以後、「きり絵」作家として公民館で講習会をひんぱんに開き、愛好家を育成した。

 切り絵界にも転機が訪れた。茨城県出身の滝平(たきだいら)二郎さん(09年に88歳で死去)の挿画が朝日新聞日曜版で70~78年に紹介され、愛好サークルが各地にできた。

 加藤さんは75年、大阪市から堺市に移り、自宅兼アトリエで制作・指導を続けた。京都・西陣の職人から70年に加藤さんの弟子に転じた前田尋(ひろし)さん(67)=堺市=は、全国の作家や愛好家らの交流会で「美術の新ジャンルを確立しよう」と熱く説いていた加藤さんの姿が忘れられないという。

 追い風を受けて加藤さんは78年、全国組織の日本きりえ協会(東京)を設立。同年夏には公募の「日本きりえ美術展」も開き、初代実行委員長を務めた。

 加藤さんは、大阪の人々の営みを好んで描いた。祭りや民話、文楽や落語といった上方芸能、町並み……。雑誌の「上方芸能」や「大阪春秋」にも長らくカットや表紙絵を寄せ、上方落語協会(大阪市)のマークも手がけた。

 やがて「東の滝平、西の加藤」と並び称されるようになったが、一つの作品に時間も金もかける加藤さんの生活は楽ではなかった。買い手のもとに足しげく通い、ポスター、テレホンカード、切手と仕事を選ばずに懸命に売った。

 加藤さんは愛煙家で肺気腫を患い、10年間の闘病を経て、10年10月に79歳で死去した。自宅に作品はほとんど残らなかった。

 前田さんは、まとめて加藤さんの作品を鑑賞できる場がほしいと願ってきた。09年、闘病中の師匠を励まそうと堺市で展覧会を企画した際、作品の貸し出しを頼んだ十数人のなかに、50点以上を所有する兵庫県の女性がいた。「これだけまとめて見るのは初めて」と驚いた。しばらく後、寄贈の申し出を受けた。

 だが、話はここで止まっている。作品群は前田さんの知人宅で預かってもらっているが、長期保管には適さない。昨年末に寄贈先の美術館を探す「有志の会」を結成した。加藤さんが戦時中に疎開した縁がある兵庫県の美術館に打診したが、作品の題材の多くが大阪のため断られた。前田さんは「美術史で切り絵を語る上で欠かせない人物であり作品。後世に伝えたい」と走り回っている。

 60年代から加藤さんと交流があり、「有志の会」代表の渡辺武・元大阪城天守閣館長(79)は「関西の風景や民俗には、加藤さんの作品を通して思い浮かんでくるものがたくさんある。関西でもっと大事にされるべき存在で、公的施設が引き受けてくれることを願わずにはいられない」と話している。

 加藤さんが呼びかけた日本きりえ美術展は今年11月、東京都美術館で第40回記念展が開かれる。(下地毅)