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 記事を書いていて、人間に対しては使いたくない言葉がある。その一つが「投入」だ。復旧に何百人を投入――などと書けば人をモノ扱いする語感になる。

 「大量」もいやな言葉だ。空爆がもたらした大量死――。これでは人の命を目方で量っているかのようだ。

 詩人の川崎洋さんに「存在」という作品があって、末尾はこう結ばれている。

  「二人死亡」と言うな

  太郎と花子が死んだ と言え

 かけがえのない一人ひとりの存在。それを乾いた数字の中に置き去りにするなという含意であろう。報道にたずさわる身には、胸に刺さる2行である。

 去る7月25日、本紙朝刊の片隅に「カブールで爆発/市民ら36人死亡」という小さな記事が載っていた。

 アフガニスタンの首都で起きたテロを16行で伝えていた。限られた労力と紙幅を思えばやむを得ないとはいえ、1人の名前も人生も、そこにはなかった。欧米のテロに比べて、こうした地域での悲劇は大抵扱いが小さい。命は等価であるはずなのに、まなざしの差は大きい。

 8月になって、本紙の「声」の欄に1通の投書が載った。このテロに巻き込まれて倒れたひとりのアフガン女性が、投稿者の筆を通して見えてきた。

 名前をアジザさんといった。カ…

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