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■文化の扉

 長州・萩の松下村塾で藩の子弟を教え、明治維新を担った多くの人材を育てたといわれる吉田松陰。しかし、その本質は教育者である以上に、革命家だった。幕府にとっては「危険きわまりない人物だった」と評する専門家もいる。

■松下村塾を主宰 明治維新を担った弟子たち

 吉田松陰は数えで30歳の若さで生涯を終えた。知られている経歴は次のようなものだ。

 1830年、現在の山口県萩市で長州藩士の次男として生まれた。5歳で山鹿(やまが)流の兵学師範でもある叔父の養子となる。

 21歳から九州などへ旅し、知識人と交流。「国を守るためには今の政治体制では難しい」との思いから、幕府の大改造などを考えるようになる。54年、来日中の米軍艦に密航を試みて断られ、自首。投獄された。

 57年、叔父の開いた塾を継ぐ形で「松下村塾」を主宰。後に藩から公認された。身分にこだわらず多くの子弟を教え、奇兵隊を創設した高杉晋作や、久坂(くさか)玄瑞、入江九一(くいち)、吉田稔麿(としまろ)といった村塾四天王のほか、山県有朋、伊藤博文ら、後に明治政府を担った高官が輩出した。

 59年、幕府の大老・井伊直弼が推進した「安政の大獄」に連座する形で斬首されている。

■政局転換図る暗殺計画 平等思想のように見えて

 しかし、このような「教育者」としての松陰像は、彼のごく一部に過ぎないらしい。

 萩博物館特別学芸員の一坂太郎…

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