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(9日、陸上・日本学生対校選手権 男子100メートル決勝)

 うおおおおおーーーー。ゴール直後に出た「9秒99」の表示に、福井運動公園陸上競技場は詰めかけた8千人の驚きで揺れた。

 だが、主役はまだ喜んでいなかった。ある映像を思い起こしていた。「伊東浩司さんが10秒00を出したときも、最初は9秒99だった。10秒00にならんといてくれ、と祈りました」。9秒98で確定すると、競技場はさらに大きな歓声に包まれる。そして9秒台突入の期待を受け続けてきた桐生の喜びが、爆発した。「テンション上がりました。東洋大のユニホームで走る最後の100メートルで9秒台が出て、ほんとによかった」

 コンディションは万全にはほど遠かった。8月の世界選手権で左の太もも裏を痛め、思いきりスタートが切れない。前日の予選と準決勝はそろりと出た。この日、200メートルの予選を走ったあと、ギリギリまで東洋大の土江コーチと相談。最終判断を任された桐生は腹をくくり、100メートル決勝に出ると決めた。「出るからには優勝を狙う。多田も調子いいし、肉離れしてもいいからスタートからいく」

 土江コーチは「桐生は100メートルを魂で走る」と評する。まさに決勝がそうだった。リミッターを外したスタートは、リアクションタイムでトップの多田に0秒001遅れただけ。顔を上げると、そこからの加速が得意な多田が前に出る。競り合うと力んで負けてきた桐生だが、この日は違った。50メートルをすぎ、伸びやかな走りで多田を抜き去る。6月の日本選手権で初めて負けた相手に勝つことだけを考えて臨んだレースで、一気に10秒の壁を破った。

 レース前にはちょっとしたハプニングがあった。招集所へ行ってから、スパイクのつま先が破れそうになっているのに気づいた。慌てそうなところだが、桐生は笑顔で新しいスパイクを取りに戻り、それをネタにして多田とも談笑した。心に余裕があった。

 「陸上選手はタイムでしか恩返しできない。10秒の壁を破れて、いろんな人に恩返しができました」。自分で日本の陸上人気に火をつけ、最初に新たな世界へ踏み出した。やはりこの男が日本のエースだった。(篠原大輔)