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 日本選手初の9秒台は、強風の福井で出た。その裏には、地元のスターターの執念と職人魂があった。

 今月9日の日本学生対校陸上選手権男子100メートル決勝。舞台は福井市の福井運動公園陸上競技場だった。優勝した桐生祥秀(21)=東洋大=の9秒98は、公認上限の追い風2・0メートルをぎりぎり下回る1・8メートルの好条件下で出た。前日の予選、準決勝の11レースはすべて追い風参考。決勝の10分前にあった女子100メートル決勝も、追い風2・3メートルで公認されなかった。

 男子決勝の号砲を鳴らす福井陸上競技協会の主任スターター、福岡渉(わたる)さん(46)はあきらめていなかった。「福井で公認の9秒台が出てほしい。風のやむときもあるやろう」。女子決勝のレース前から50メートル付近にある吹き流しを注視していた。すると、風に一定のリズムがあると分かった。

 強風が吹いて、弱まる。すぐまた強風が吹いて、少し長い間弱まる。この繰り返しだった。「よし」と、福岡さんはイメージトレーニングを重ねた。

 そして男子決勝の準備が始まる。桐生や多田修平(21)=関西学院大=らがスタートダッシュを確認しているとき、福岡さんはスターターの位置から吹き流しを見た。すると係員と重なって見えない。スターターの台を下りて、「どいて!」と叫んだ。じっと吹き流しを見て、心を整えた。

 いざ本番。吹き流しを見て、2度目の強風のときに「オン ユア マークス(位置について)」と告げた。そして「セット(用意)」のあと、ピストルを鳴らした。その瞬間、計算通り風は弱まっていた。

 風速はスタートから10秒間の平均秒速で決まる。レース後、速報タイム「9・99」の横には追い風1・8メートルを示す「+1・8」が表示された。その後タイムが「9・98」で確定した。歓喜のあまり「欽ちゃん走り」に似た横走りで駆けだした桐生。福岡さんはスタート地点で福井陸協の仲間たちと抱き合った。全国のスターター仲間から祝福のメッセージが殺到し、日本陸連の伊東浩司・強化委員長からは「おめでとう。ベストスターターですよ」と声をかけられた。

 福岡さんは福井運動公園のすぐそばにある県立道守高の事務職員として働いている。自身も中学時代まで短距離に取り組み、100メートルは11秒前半で走った。スターターは2006年から始めた。普段からしている工夫がある。「オン ユア マークス」と告げるとき、「オン」の部分を強めに言う。「選手の背中を押してあげるんです。『よっしゃ、いこう』っていう気持ちになれるように」

 今年から福井陸協のスターター主任に。今大会で誰がどのレースを担当するかは、福岡さんが割り振った。自分自身で決めた花形レースの担当を、最高の形で締めくくった。「日本で最初の公認9秒台のスターターになれてよかった」。満面の笑みで振り返った。

 東京五輪・パラリンピックのスターター研修にも参加している。46歳、福井の福岡さんの夢は広がる。(篠原大輔)