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 北の湖親方の付け人を長年務めた大露羅(おおろら)は、あの日の師匠の姿が忘れられない。2015年5月24日。夏場所の千秋楽の表彰式で照ノ富士に賜杯(しはい)を渡したのが、昭和の大横綱北の湖の国技館最後の土俵となった。

 理事長に返り咲いた12年2月。良性と信じていた大腸の腫瘍(しゅよう)は、がんだった。想像以上に進行しており、6時間の予定が丸1日を要する大手術となった。退院から数日後の春場所の協会挨拶(あいさつ)に立ったのは、大横綱の意地と根性だった。

 手術から半年。「軽くなら医者の許しが出た」と東京・向島(墨田区)へ。お湯のようなかん酒を愛していた。十数本のお銚子(ちょうし)を空け、「ぐーっと胃の腑(ふ)から力が湧く」とご機嫌だった。だが、がんには勝てなかった。

 再発。重粒子線をあてる最新治療も受けたが、全身がむしばまれていた。「これだけは順番じゃないから。交通事故もあるし、心臓マヒもあるし」。62歳の誕生日だった15年5月16日、近い運命を悟るように、そう漏らした。

 8日後の千秋楽。もう階段を上がれなかった。渾身(こんしん)の力で持ち上げた29キロの賜杯(しはい)。照ノ富士が受け取るまでの間が、全ての事情を知る大露羅には長かった。「さっさと受け取ってくれよ」。西の花道の奥で声を震わせ、涙目で見つめた。

 「ここに来ると、時々思い出すんです」。大露羅は西の花道でそう語り、大きな体を小さく丸め、支度部屋に入っていった。(抜井規泰)