[PR]

「恍惚(こうこつ)の人」から「希望の人びと」へ:3(マンスリーコラム)

 認知症の本人たちによる「当事者発信」というと、若年性認知症の人の話だと思う人が多いのではないだろうか?

 実は、違う。今から10年以上前、認知症を「痴呆(ちほう)」と呼んでいた時代に、「発信」の扉を開いた一人が、当時70歳だった秋山節子さんだ。

 2004年、当事者発信に注目した企画「私はアルツハイマーです 語りはじめた人たち」を朝日新聞の生活面で連載した。このときはご家族の意向もあって匿名だったが、今年2月に出版した拙著「ルポ 希望の人びと ここまできた認知症の当事者発信」では、ご家族の了解も得て実名で紹介した。節子さんは3年前に亡くなられたけれど、私は「秋山節子」さんの名前と、先駆けとしての勇気ある行動を歴史に残したかった。

夏の日の出会い

 初めて訪ねたのは04年夏。門柱のベルを押すと、玄関から年配の女性がにこやかに現れた。

 「わたくしのために、いらしてくださった方?」

 アルツハイマー病と診断された節子さん(当時71)の取材を、夫の好胤(よしたね)さんを通してお願いしたら、快く引き受けてくださった。

 張りのある声、てきぱきとした受け答えに、美しい言葉づかい。アルツハイマー病と診断されたとは、言われなければわからない。私が名刺を差し出すと、ふっと表情がゆるんだ。

 「まあ、きれいなお名前ね。久美子さん。久しく美しい子ですね。私なんか、節子。3月生まれなのでおひな様のようにとね。でも母がある日『やっぱりウソはだめね』って申しましてね。実は3月2日生まれなのに、節句は3日だからって。でもそんなぁ、だれの子なのよ。きれいな子に生まれるわけないじゃないのってね」

 好胤さんが横で笑い出した。

 「結婚するとき、義母が『節子はよくしゃべるから、我慢して相手をしてやってください』って言ってましたね」

 私も一緒に笑ってしまった。忘れられない出会いだった。

「これはチャンス」

 節子さんはそのころ、介護や医療関係者の間でちょっとした有名人だった。

 前年の03年9月、自宅のある茨城県のつくば国際会議場のホールで、800人の聴衆を前に、日本で初めて病名を明かして本人が体験を話し、「初めて公の場で語った勇気の人」と注目された。

 世界アルツハイマーデー(9月21日)を記念した集いで、会場では名前も隠さなかった。異変に気づいたときの不安、病名を知らされたときのショック、新薬や早期発見への願いなど、スピーチは15分ほどにわたった。

 地元の「呆(ぼ)け老人をかかえる家族の会」からの誘いがきっかけだった。当時この会の顧問だった、主治医で筑波大学教授(現在は名誉教授)の朝田隆さんにも「本人の話をきけば、その苦しみや実態がわかってもらえる」と勧められた。

 節子さんは「これはチャンス」と引き受けたという。

 「患者は本心を言いたくてもなかなか言えない。話せるうちに、ぜひ、きいてもらいたい。アルツハイマーも、がんと同じ病気なんだから、恥ずかしいことでも何でもないですもの」

 夫は「元来ほがらかでおしゃべりだけれど、世間体を気にする方なので、まさか」と、妻の反応に驚いたそうだ。

初めての異変

 私のインタビューに、「あれは大変な恐怖でございました」と、節子さんは初めて異変に気づいたときのことを振り返った。

 4年前の00年、常磐線の車中…

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員に登録すると全ての記事が読み放題です。

初月無料につき月初のお申し込みがお得

980円で月300本まで読めるシンプルコースはこちら