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 2002年の日朝首脳会談で北朝鮮が日本人の拉致を認めてから、17日で15年。帰国していない拉致被害者の家族たちは、北朝鮮が核実験やミサイル発射を繰り返すことで、「拉致問題の解決が遠のくのでは」と危機感を募らせている。

高齢化、成果なく15年

 「首相や拉致問題担当大臣が代わるたびに『拉致問題はわれわれの責任で解決します』と言うが、何も目に見える成果がない」。1978年に拉致された田口八重子さん(拉致当時22)の兄、本間勝さん(73)=東京都北区=はそう語る。「大臣や役人はどんどん交代するが、私たち被害者家族は交代できない。ただ年を取っていくだけです」

 兄で拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さん(79)=埼玉県上尾市=はこの夏、体調を崩して1カ月ほど入院した。07年に横田めぐみさん(拉致当時13)の父・滋さん(84)=川崎市=から会の代表を引き継ぎ、集会や講演のため全国を回ってきたが、歳月が容赦なく積み重なっている。「私たち7人きょうだいのうち2人が亡くなった。残り4人が末っ子の八重子を待っているが、家族がいなくなったら拉致問題が忘れ去られてしまう。時間との闘いです」

 北朝鮮は八重子さんの拉致は認めた一方、87年の大韓航空機爆破事件の犯行を否定。この事件で実行犯とされた元北朝鮮工作員・金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚や、日本語教育係とされた日本人・李恩恵(リウネ)の存在も認めていない。

 日本の捜査当局は、八重子さんが李恩恵だと断定しているが、本間さんら家族は「犯行を認めない北朝鮮が、秘密を知っているかもしれない八重子をすぐに出すことは考えにくい。拉致被害者の中でも帰国は最後の方なのではないか」と考えている。(斎藤智子、編集委員・北野隆一

絶対会う、信じ続ける

 市川修一さん(拉致当時23)は78年、増元るみ子さん(拉致当時24)とともに鹿児島県日置市の海岸で失踪した。修一さんの兄、健一さん(72)=鹿児島県鹿屋市=は02年10月に蓮池薫さん(59)ら拉致被害者5人が帰国した際、「近い将来、すべて解決するんじゃないか」と希望を持った。それから15年。「何の進展もない。憤怒の思いでいっぱいだ」

 北朝鮮が核実験やミサイル発射を繰り返し、「拉致問題が埋没している」と感じる。もうダメかと思うこともあるが、「絶対会うんだ。会えるんだ。弟は救出を待っているんだ。そう思って活動を続ければ、ある日突然、ぱっと開ける日がくる」と信じている。

 母トミさんが08年に91歳で、「100歳、いや110歳まで生きる」と話していた父の平さんも14年に99歳で亡くなった。平さんの葬儀で健一さんは遺影に「お母さんと一緒に修一の帰りを天国で待っていてください。必ず良い知らせを届けます」と語りかけた。

 07年に自宅を建て替えたが、修一さんの部屋にはスーツを残し、毎年陰干ししている。無事に帰るようにと願いを込め、全国から寄せられた大小約300個のカエルの置物を居間に飾っている。失踪当時から自宅前に残る桜の老木は毎年春に花を咲かせ、修一さんを待ち続ける。(周防原孝司、清水大輔)

取り返すまで交渉を

 石岡亨さん(拉致当時22)は80年、欧州旅行中に行方不明になった。スペインで「よど号」ハイジャック事件グループのメンバーに声をかけられ、北朝鮮に拉致されたとみられている。兄の章さん(62)=札幌市=は「拉致は今も続いている事件。家族に節目はない」と語る。

 北朝鮮は02年、亨さんの拉致を認めた。欧州留学中の83年に拉致された有本恵子さん(拉致当時23)と結婚し、子どももいたが、88年にガス中毒で一家3人とも死亡した――とも説明した。だが章さんは「あくまで北朝鮮の一方的な説明。何の証拠もないのに、どうやって信じろというのか。結婚したことさえ、作り話かもしれない」と疑う。

 亨さんが有本さん、松木薫さん(拉致当時26)とともに北朝鮮にいることは、88年9月に札幌の自宅に届いた亨さんの手紙で判明した。「手紙を見て、のど元にナイフをつきつけられたようだった。これは誘拐事件で、弟は人質なのだ」と章さんは感じたという。

 政府に「水面下で北朝鮮と交渉してほしい」と働きかけ続けた。有本さんの両親らが97年3月に拉致被害者家族会を結成した際も「名前を出すと弟の生命が危ない」と考え、参加しなかった。「弟はもう60歳。健康かどうかもわからない。高齢化している家族がいなくなれば、拉致問題が自然消滅してしまう」と危ぶむ。「国民の生命を守るのが国の役目。政治家は北朝鮮へ何度でも行き、被害者を取り返すまで交渉してほしい」(布田一樹)