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 がんがおなかに広がって、腸が通らなくなった50代の女性。食べると腹痛と嘔吐(おうと)を生じて、絶食となった。点滴だけの生命維持。がんは進行し、腸管は一層膨張。休日の緊急バイパス手術(閉塞(へいそく)している腸の前後を吻合(ふんごう))となった。胃からチューブを腹壁に通し、胃瘻(いろう)造設も同時にしてもらった。おなかのふくらみは和らいだ。水分摂取を許可した。女性はゴクゴクと冷たい水を飲んだ。飲んだ水は胃へ流れ、胃瘻チューブから外のバッグに流れ出た。「おいしかった」。水は体内に吸収されなかったが、舌・咽頭(いんとう)・食道・胃・腸の一部を潤した。

 食べ物が口から入って肛門(こうもん)へと出て行くって当たり前みたいだけど、手を合わせ首(こうべ)を垂れたいくらいな奇跡的なできごと。口発肛門着の消化管本線、土砂崩れや噴火や豪雪で、いつでも不通の危険をはらむ。

 女性は焙(ほう)じ茶、紅茶、ソーダ水を楽しんだ。それから、ミソ汁の上澄み、うどんのだし汁へと進んだ。「これおいしい! 何のスープ?」厨房(ちゅうぼう)さん手作りのアサリのスープだった。リンゴをすって絞った汁、コンソメスープ、鯛(たい)と山椒(さんしょう)のスープ。女性の表情に明るさが戻った。これって「いのちのスープ」の力。

 ある日の回診、女性は言った。「何か、がっつりした物、食べてみたいんです」。スープに限界が訪れた。胃瘻チューブが詰まったら大変、固形物禁。「ソースを口にしたくて。お好み焼きのオタフクソース、ハンバーグのデミグラスソース、だめでしょうか。咬(か)み出しますから」。餃子(ぎょうざ)の酢醬油(すじょうゆ)、トンカツソース、甘酢あん。女性はソースを楽しんだ。ソースも、舌・咽頭・食道・胃・腸の一部を潤す。粘膜の生命力が目ざめる「いのちのスープ」に「ソース」が替わる。

<アピタル:野の花あったか話>

http://www.asahi.com/apital/column/nonohana/(アピタル・徳永進)

アピタル・徳永進

アピタル・徳永進(とくなが・すすむ) 野の花診療所医師

1948年鳥取市生まれ。京都大学医学部卒業。京都、大阪の病院・診療所を経て、鳥取赤十字病院の内科医に。2001年12月、鳥取市内にてホスピスケアのある有床診療所「野の花診療所」を始め、さまざまな死の形を臨床から報告。鳥取市にセミナーハウス「こぶし館」を建築し26年になる。