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 御嶽山の噴火から間もなく3年。戦後最大の死者・行方不明者63人を出した噴火災害で、富士山の噴火対策が本格的に議論されるきっかけになった。仲間2人を失った富士吉田市の男性は「危険を少しでも意識していたら助かったかもしれない」と今も悔やむ。

 富士吉田市新倉の会社員高野寛司(かんじ)さん(66)は、3年前の9月27日午前11時52分、岐阜・長野県境の御嶽山(3067メートル)の山頂直下にいた。63人の死者・行方不明者を出した御嶽山噴火で、仲間2人を失った。

 富士山麓(さんろく)で生まれ育ち、山登りが趣味。南アルプスや北アルプスにも遠征し、富士山5合目で自然解説員も務めた。山には精通していたはずだった。それなのに、噴火の可能性を全く考えていなかった。「無知と言われればその通り。でも、当時は噴火で亡くなった登山者は皆無。雲仙普賢岳や伊豆大島でも登山者は犠牲になっていない」

 勤めていた岐阜市の会社の同僚…

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