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 1936年に日本プロ野球初のリーグ戦(第1回日本職業野球リーグ戦)が開催されてから81年。プロ野球の通算本塁打数が10万本に達した。29日は3試合が行われ、日本ハム―楽天戦で2回に楽天のアマダー、DeNA―阪神戦で4回にDeNAの戸柱、ロッテ―オリックス戦で5回にT―岡田がそれぞれ本塁打。あと1本に迫ると、オリックスのマレーロが6回に10万号の記念本塁打を放った。

 記念すべき第1号は、36年5月4日、大阪タイガース―東京セネタース戦(甲子園)で、藤井勇(大阪)が記録した左中間へのランニング本塁打だった。50年にセ、パの2リーグ制になり、セの1号を岩本義行(松竹)が、パの1号を戸倉勝城(毎日)が、そろって同年3月11日に放った。1リーグ時代は試合数が少なく戦争もはさんだため、1号から1万号までは21年かかった。しかし、2万号以降は5~7年でメモリアルアーチを刻んでいる。

 記念の一発を放った打者をみると、90年にプロ野球通算6万号を放った広永益隆(ダイエー)は、92年にはパ・リーグ通算3万号を記録している。広永の通算本塁打は34本だが、記録に残る本塁打に恵まれた。このほかにも、南海からダイエーへ球団が変わった89年の開幕戦で、代打でプロ初打席に立ち、ダイエー球団の第1号を記録(これは平成のパ1号)。このほか代打サヨナラ満塁本塁打などを記録している。

 83年にプロ初打席で満塁本塁打を放ち、「満塁男」と言われた駒田徳広も強運だ。巨人時代の87年にプロ野球通算5万5千号を記録したが、横浜に移籍後の97年には同7万号を放っている。歴代の通算本塁打数上位の選手では、門田博光(南海)が80年にパ・リーグ通算2万号を、山本浩二(広島)が82年にプロ野球通算4万5千号を記録している。

 球団別では、26日に球団通算1万本を超えた巨人がトップ。世界記録となる868本塁打を放った王貞治や、天覧試合でのサヨナラ本塁打など劇的な打撃でファンを魅了した長嶋茂雄らが、本塁打数を引き上げた。ただ、長嶋は新人だった58年に、一塁ベースを踏み忘れて本塁打が無効になったことがある。他にも新庄剛志(日本ハム)ら、前の走者を追い越して本塁打が無効になったケースがある。こうした「幻の本塁打」がきちんと本塁打に記録されていれば、すでに10万本は達成されている計算となる。

 10万号を打った打者には、日本野球機構(NPB)から賞金100万円が贈られる。各球場では、本塁打が着弾した時間を公式記録員が秒単位で記録。リプレー検証になった場合なども想定してルール化し、「10万号の打者」を正確に決める方針で臨んでいた。(吉村良二)

■歴代の記念本塁打

 1936年【1号】藤井勇(大阪)

 57年【1万号】渡辺清(…

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