[PR]

 全国の代表校が一堂に会し、憧れの甲子園の土を踏む開会式の入場行進。31回大会(1949年)から市西宮高(兵庫)の女子生徒が各校のプラカードや大会旗を持ち、先導役を担う。

 当時は全国的に男女共学が進んだ時期。女子生徒の活躍する場が甲子園にも設けられた。32回大会で宇都宮工(栃木)を担当した魚田(旧姓・吉井)清子さん(85)は「一生の友人」と出会った。宇都宮工の三塁手、中山繁さんだ。中山さんが亡くなる2014年まで文通を続けた。

 きっかけは大会期間中、魚田さんのアルバイト先の甲子園駅前の食堂で、中山さんたち宇都宮工の選手4人にばったり会ったことだった。その日は雨で自由行動。とっさに「大阪をご案内しましょうか」と誘った。友人と心斎橋を案内し、映画館へ。映画より、選手たちがおかきを食べる「ぼりぼり」という音しか覚えていないくらい、どきどきだった。宇都宮工は4強進出。試合は全部、ベンチの近くで応援し、宿舎にスイカも差し入れた。大会後は数人と集まり、手紙を交換した。

 中山さんには「誠実でやさしい方」と印象を持っていた。いつしか何でも話せる「心の支え」に。結婚後も交友は続き、夫も交え食事をした。子どもや孫のことで悩むと電話で聞いてもらった。「甲子園の入場行進を見るたび青春時代を思い出して心が躍るんです」

 親子2代でプラカードを持つことも少なくない。佐々木(旧姓・小野田)智子さん(49)は85年の67回大会で志度商(香川)を、長女の毬(まり)さん(20)は2014年の96回大会で藤代(茨城)を担当した。

 毬さんは、智子さんが先導する写真を見て高校進学を決めた。「凜(りん)としてかっこよかった。親子で持ちたいと思いました」

 先導役は人気が高い。ここ数年は歴代優勝校の旗もあるため、126人が合格。倍率はそれでも約2倍にのぼる。選考会は7月にあり、竹棒を持って行進する姿勢やリズム感が審査される。どのチームの担当になるかは、身長で決まる。甲子園で横一列に並んだ際、中央に最も高い生徒がくるよう割り振られる。

 1年の夏は部活で参加できなかった毬さんは、2年の夏に「一生に一度の経験。プラカードを持って歩く夢をかなえたい」と立候補。選考会に向け、何度も練習した。智子さんにピアノで行進曲を弾いてもらい、新聞を丸めた筒を掲げリビングで歩いた。無事、合格。本番は「気持ちよかった。一番よくできた」と毬さん。スタンドで見届けた智子さんは「甲子園の土を踏んだ感動がよみがえりました」。

 毬さんはいま大学生。「先導役をしたことで自信になり、何でも挑戦できるようになった。授業でも大勢の前で堂々と発表できます」

 来夏の100回大会は、史上最多の56代表となる。より多くの女子生徒の思いもまた、甲子園に集う。(橋本佳奈)

こんなニュースも