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 「原爆の日」を翌日に控えた今年の8月5日。広島市中区のカフェ「ハチドリ舎」の催しで、国内外の人々に被爆証言を続けてきた経験を高校生や20~30代の若者たちに話す男性がいた。同市佐伯区の伊藤正雄さん(76)。10代のころ、病床で出会ったある言葉が、今の活動につながっているという。

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 4歳の時、爆心地から約3・5キロの広島市庚午(こうご)地区(現・広島市西区)で被爆した。自宅前の道路で三輪車をこいで遊んでいると、突然青白い閃光(せんこう)が見えた。「あっ」と思った瞬間、爆風で吹き飛ばされ意識を失っていた。「早くこっちへ」。気がつくと、母喜美枝さん(当時31)の叫び声が聞こえた。玄関口に急いで走り込み、げたを脱ごうと手をかけると、土足で家に上がれば必ず叱る母が「脱がんでええよ」と言った。1坪ほどの土間を見渡すと、玄関の窓ガラスの破片がキラキラと光っていたのを覚えている。母に連れられ、家の地下にあった6畳半ほどの防空壕(ごう)に逃げ込んだ。

 父龍雄さん(同41)が経営し…

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