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 テレビ朝日で報道番組のディレクターや政治記者を経験し、今は武蔵大学でジャーナリズムを教えている奥村信幸教授に、「YouTube(ユーチューブ)」や「YouTuber(ユーチューバー)」が支持される理由や今後の可能性と課題について聞きました。

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 ユーチューブのコンテンツの魅力は、「かゆいところに手が届く」ことでしょう。ユーチューバーの多くが「もうける」ということに価値を見いだしてはいないので、自分の好きなことや、ごくごく一部の人にしか分かってもらえない技能などを見せられます。料理やメイクとか、自分のテイストに合った人のやり方を見て学ぶなどの使い方をしています。

 テレビは、タレントの契約条件や著作権、ある程度の視聴率を確保しなければいけないことなど、様々な条件を調整し、スポンサーにCMを買ってもらうことまで考えなければなりません。表現は非常に不自由で最大公約数的なものになります。好みが多様化して、デパートよりもセレクトショップの方が欲しいものがある時代です。だから、オンデマンドで、自分で見に行くコンテンツの方がたくさん消費されていると言えるでしょう。

 ただし、ネット上の動画には、思わぬ発見にわくわくする半面、なかなか欲しいものがないなあと思っている人もいます。テレビ局で番組を作ってきた身からすると、ユーチューブの動画は、「自分語り」のものや、テレビをまねたものも多く、似たり寄ったりに見えるのです。

 テレビ番組が不自由に感じる理由の一つに、例えば放送禁止用語などの自主規制があります。品位を保つという一定の役割があるものの、本当はもう少し踏み込んだ意見を聞きたいのに言ってくれないとか、ニュースで奥歯にものが挟まったようなコメントしかないという不満も視聴者の間には結構あると思います。

 インターネットのユーザーは、「実はこうなんだよ」と少々キツい言葉でも本質を言い当てるような、「キレの良さ」を求める部分があります。ただし、もしかしたらヘイトスピーチと隣り合わせの、野放図な表現につながる恐れもあります。インターネットには放送法のような一応の規律となり得る法律はなく、ユーチューブは、グーグルの傘下にあるので、その方針に最終的に従わなければなりません。表現の自由における危うさもあると思います。

 それから、テレビは1時間とか30分とか、きっちりした時間内に収めることを主眼にしたコンテンツづくりをしています。ちょっと言葉が足りなかったり、じっくり説明したいと思ったりするところを我慢して「詰め込んで」作りますが、ユーチューブは基本的に「アンタイム」、例えば30分より少しはみ出しても足りなくてもOKなので、丸めずにものが言えるし、テレビほど画面が派手ではなくても、アナウンサーほど上手なしゃべりでなくても、少し編集に粗い部分が残っても、勢いとスピードがあります。そういう気軽さも人気の理由だと思います。

誰でも発信できる

 ユーチューブは誰でも発信することができます。「メディアの民主化」とも言えます。一部の大手メディアがメッセージの発信を独占していないのは、とてもいいことです。しかし、ユーチューバーと言われている人たちは、何の資格もありません。手放しで信用してしまったり、盲目的に従ったりする人がたくさん出てくるようだと、情報に最低限の注意を払うというメディアリテラシーを、特に若い人たちが身につけるために、誰がどうやって教えればいいのかという問題が出てきます。メディアリテラシーの勉強をしている学校はたくさんありますが、その内容と若い人たちのユーチューブの消費行動はあまり結びついていないようにも見えます。インターネットがこれだけ生活に入り込むというのは、教える大人が子供の頃に経験していない事態です。訓練のメソッドが確立していないのが実情です。

 中高生の投稿の中に「バイリン…

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