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 15年の大切な時間はもう返ってこない――。東京電力女性社員殺害事件(1997年)の冤罪(えんざい)被害者で無期懲役の判決を受けて服役していたゴビンダ・プラサド・マイナリさん(51)が、再審無罪確定後初めてネパールから来日し胸中を語った。

 マイナリさんが2012年に再審開始決定が出て釈放された際は、直後に不法残留による強制退去処分とされた。その後、日本には入国できなかったため、日本で単独インタビューを受けるのは初めて。マイナリさんは9日、妻のラダさん(48)が同席して取材に応じ、主に日本語で答えた。自分の無実を信じて支援してくれた人や弁護団などに直接会って感謝の気持ちを伝えたい、と来日したという。

 「いまも深く眠れない。いやな夢をいつも見る」とマイナリさんは話す。「お前が殺したんだ」「犯人はお前だ」と大声で追及され、机の上に置いた仏像に触らされて「本当のことを言え」と迫られた。「(一審で)無罪判決を受けたのに釈放してもらえなかったときは、怖かった」

 当時のことを話し始めると、マイナリさんは目を真っ赤にした。計15年間、身柄を拘束された拘置所や刑務所で、精神安定剤や睡眠薬を手放せなくなった。支えは「自分はやっていない」という思い。面会の支援者や弁護士、家族から届く手紙にも励まされた。

 小さなことに心の安らぎを見いだした。拘置所の窓から聞こえたハトのつがいの甘い鳴き声が愛のささやきのように感じられ、妻を思った。刑務所では、運動に出るグラウンドで、マリーゴールドの花が咲いているのを見つけ、看守に見つからないように1輪摘んだ。ポケットの中に隠して房に持ち帰った。マリーゴールドはネパールの祭りで首飾りをつくる花。房の中でこっそり香りをかぎ、ひとり故郷のことを思った。

 マイナリさんが日本に観光ビザでやって来たのは94年。国を離れたとき、2人の娘は2歳と6カ月だった。自由の身となって5年前に帰国したときには、20歳と18歳になっていた。

 「帰ったとき、娘は精神安定剤を飲んでいた。学校でいじめられたこともあったと聞いた。娘たちも傷ついた」。家族が再びまとまることは難しかったか、との問いに、マイナリさんは答えなかった。「娘たちを抱いたり、一緒に遊んだりすることができなかった。子どもの成長を見ることができなかった。残念で仕方がない」。娘はそれぞれ結婚し、家を出たという。

 現在はカトマンズの自宅でラダ…

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