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 「診療所でーす」。鳥取市の市営団地、F棟の2階の1号室。「はーい、どうぞー」。狭い玄間、狭いキッチンの隣の狭い居間に70歳のひとり暮らしの女性がいた。「わざわざすみません、遠いのに」。診療所から車で10分、近い方。「ちらかしていてー」。整っている方。黄疸(おうだん)がある。かなりの黄疸、強い方。大腸がんの多発肝転移。短期決戦になる。

 「20年住んだこの部屋で、死んじゃおか思って」と笑顔。遠方に住む長女、近くの次女と高1の孫娘が集合。目に涙を浮かべた。女手一つで皆を育てた。5年間、手術や抗がん剤で闘ってきた。「だからもう悔い、ないしー」。主役が先行し脇役が遅れ気味。これじゃあ戦(いくさ)にならじと、玄関に脇役を集め、「えいえいおー」の結団式。

 痛みが出現した。「どれくらい?」と聞くと、「たけくらい」と。「???」「松竹梅で言うと竹」。痛みを松竹梅スケールで言った人初めて。次の往診で「私の臓器、要る人ない? 私死んでも、人の役に立ちたい」と主役。「気持ちだけで」となだめ、「献体なら医学生の学びになる」と言い添えると、「それにする」と即決断。事はトントンと進んでいった。

 別の日の往診で長女が言う。「ゆうべ母、吐きけ来て、トイレまで這(は)って、ゲオゲオして、間違えてウォッシュレットのボタン押したら、ピュッとでて、口ゆすいで、2人で大笑い」。つい、こちらも笑った。

 死は笑いと苦痛の中、なんとかやってきた。思い出の団地の一室で、親戚、知人、泣き笑いのお通夜をした。台風が過ぎ去った翌日のお昼、迎えの車が来た。涙を流す脇役たち、ご近所さんといっしょに米子の鳥取大学医学部へ向かう車に、深々と一礼。ふっと見上げると、澄んだ秋の青空が久しぶりに広がっていた。

 

<アピタル:野の花あったか話>

http://www.asahi.com/apital/column/nonohana/(アピタル・徳永進)

アピタル・徳永進

アピタル・徳永進(とくなが・すすむ) 野の花診療所医師

1948年鳥取市生まれ。京都大学医学部卒業。京都、大阪の病院・診療所を経て、鳥取赤十字病院の内科医に。2001年12月、鳥取市内にてホスピスケアのある有床診療所「野の花診療所」を始め、さまざまな死の形を臨床から報告。鳥取市にセミナーハウス「こぶし館」を建築し26年になる。