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 県高校野球連盟審判部が創設から30年を迎えた。12月3日には記念行事も開かれる。審判部長の岡田和男さん(69)にこれまでの審判部のあゆみと今後の展望をうかがった。

 ――審判部は1987年5月24日に発足したそうですが、その経緯をお聞かせください。

 それまで選手権滋賀大会など県内の高校野球大会は、県審判協会から審判員が派遣される形で運営されていました。しかし他の府県の多くは、高野連に審判部があり、県の高校野球の発展やスムーズな運営を図るためにも、設立の機運が高まっていました。

 ――設立は順調に進みましたか。

 一筋縄ではいきませんでした。「今までも派遣する形で成立したんだから新しく作る必要は無い」と、当時の審判協会には反対する人も多かった。当時の森田憲一・県高野連会長や小嶋利彦・県高野連理事長らが連日深夜にわたって会議や交渉を粘り強く続け発足にこぎつけました。

 ――当初はどのようなメンバーだったのですか。

 審判部員33人のうち未経験者10人からのスタート。初代審判部長の東谷義雄さんらが若手の育成にあたりました。東谷さんは、一遍に知識や技術をつめこむのではなく、一歩ずつ着実に技術を磨いていくことが審判の技術につながるという考え方の人でした。

 ――その考えは今も審判部に生きていますか。

 私もそれにならって、試合ごとに「振り返り」をして、それぞれの課題を見つけることで審判技術の向上を図っています。現在、審判歴に応じて年3~5回の研修会をして、技術の向上にあたっています。

 ――現在の部員は発足当初の倍以上になっていますが、どのような取り組みをしていますか。

 若手の審判員の勧誘も積極的に行っています。現在の部員数は71人(休部を含む)で、今年は18歳の審判員が3人入ってきました。続けていくためには若手の入部が不可欠。学校の先生に協力を依頼して、高校野球経験者の中で、審判に興味を持っている生徒を探してもらっています。

 ――今後の展望は。

 審判の技術が向上すれば良い試合が増え、県勢のレベルアップにつながると思います。来夏は第100回記念大会、県勢から全国優勝校が出るように、審判技術の勉強をしていかなければと思う。30年間の先輩方の努力を継承し、今後も審判部、高校野球発展のために尽力していきたいです。

 ――最後に球児にメッセージを。

 高校野球はプロ野球とは違います。今までやってきた力を出すためにも、危険なプレーはせず、けがに気をつけてください。(聞き手・石川友恵)

     ◇

 県高校野球連盟審判部 県内の高校野球の審判は、旧制膳所中の投手だった故・村井正夫さんの呼びかけで、戦後間もない1948年ごろ、有志が集まったのが始まりとされる。55年になって「県野球審判協会」が発足。87年に県高校野球連盟の組織として審判部が設置された。当時県審判協会理事長だった東谷義雄さんが初代部長に就いた。

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 〈おかだ・かずお〉 1947年彦根市生まれ。彦根工時代は内野手だったが、肩のけがのため、1年生の時に退部した。高校卒業後、市内の印刷機械製造会社に勤めるかたわら、審判部初代部長の東谷義雄さんの誘いを受けて、73年に県野球審判協会に入会。県高野連審判部の発足とともに移る。第71回全国高校野球選手権大会では、派遣審判委員として、土佐(高知)―東亜学園(西東京)などの4試合で審判をした。2013年から審判部長を務める。

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