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 スペシャル・ミールとはアメリカにおいて死刑囚に最後に供される食べ物である。この日の食卓ばかりは死刑囚が自分で注文出来る。フランス料理のフルコースなどが思い浮かぶが調べてみるとフライドチキンやステーキ、ホットチーズサンドイッチ、チーズパイ、目玉焼きなどきわめて平凡。中にはわざわざケンタッキーフライドチキンと銘柄まで指定する者もいる。

 飽食の時代、テレビでは日々味もわかりそうもない若いタレントが新奇な料理や有名店の料理に舌鼓を打っているが、かりに彼らにこのスペシャル・ミールの機会を与えた場合、マクドナルドのバーガーとか吉野家の牛丼になる可能性がなくもない。

 人間とはそういうものだ。

 小さい時から慣れ親しみ平凡だが自分の思い出に絡んだ食べ物をこそ舌が求めることは、アメリカの死刑囚の例が証明している。その意味でかりに私が死刑囚となりスペシャル・ミールを許された場合、ダイコンの葉の漬け物の千切りにオカカをまぶし、それに醤油をかけ、銀メシに混ぜ込んだものを所望するかも知れない。

 幼稚園にまだ上がる前、私は真夜中に母に空腹を訴えた。母は困った顔をしていたが、台所に行き、あり合わせのメシとお茶を運んできたのだ。それはまさに三つ星のスペシャル・ミールであり、子供心に世の中にこんなに美味(おい)しいものはないとさえ感じた。

 食べ物とはそういうものである。高級懐石やフランス料理のフルコースなど、そういった局面では一つ星に過ぎない。

 五十九歳の若さでガンで逝った私の兄のスペシャル・ミールは先日も取り上げた巣鴨の海鮮料理屋「清」で供された。兄は最後の年にはすでに固形物は受け付けず、流動食ばかりを摂(と)っていたが、私は最後の思い出にと彼が四十年近くの長きにわたって通い続けた「清」に連れて行った。その雰囲気だけでも味わわせてやりたかったのだ。

 女将(おかみ)の配慮で兄が好んでいた料理がカウンターに運ばれて来た。兄の目は喜んでいたが、一切箸はつけなかった。だが、ある一品が最後の方で出て来た時、小さな奇跡が起きた。彼は箸を取り上げ、わずかに掬(すく)い取り、醤油につけ口に入れたのだ。それをきっかけになんとその皿は空っぽになった。

 イカソーメンだった。

 私はその小さな奇跡を横から眺め目頭が熱くなった。門司港で生まれた私たちはよくイカを釣りに出かけ、その場で千切りにして醤油をぶっかけ、おやつ代わりに食べた。最後の食卓で兄の中に眠る記憶が蘇(よみがえ)り、ひょっとすると小さな食欲を促したのかも知れない。それはまさに死刑囚のスペシャル・ミールではあった。

 ◆次の筆者は海猫沢めろんさんです。

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