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 世界は、日本は、どこへ向かうのか。トランプ氏の米国をはじめ、幾多の波乱が予感され、大いなる心もとなさとともに年が明けた。

 保守主義者として知られる20世紀英国の政治哲学者、マイケル・オークショットは、政治という営みを人々の航海に見立てている。

 海原は底知れず、果てしない。停泊できる港もなければ、出航地も目的地もない。その企ては、ただ船を水平に保って浮かび続けることである――。

 今年の世界情勢の寄る辺なさを、予見したかのような言葉として読むこともできるだろう。

 と同時にそれは本来、政治にできることはその程度なのだという、きわめて控えめな思想の表現でもある。

 昨今、各国を席巻するポピュリズムは、人々をあおり、社会に分断や亀裂をもたらしている。民主主義における獅子身中の虫というべきか。

 オークショットのように抑制的で人気取りとは縁遠い政治観は、熱狂や激情に傾きがちな風潮に対する防波堤の役割を果たす。

 ■人々の暮らしの中で

 不穏な世界にあって、日本は今年5月、憲法施行70年を迎える。

 憲法もまた、政治の失調に対する防波堤として、大切な役割を担ってきた。その貢献の重みを改めて銘記したい。

 「立憲主義」という言葉の数年来の広がりぶりはめざましい。政治の世界で憲法が論じられる際の最大のキーワードだ。

 中学の公民の教科書でも近年、この言葉を取り上げるのが普通のことになった。

 公の権力を制限し、その乱用を防ぎ、国民の自由や基本的人権を守るという考え方――。教科書は、おおむねこのように立憲主義を説明する。

 それは人々の暮らしの中で具体的にどう働くのか。

 例えば、政党機関紙を配った国家公務員が政治的な中立を損なったとして起訴されたが、裁判で無罪になった例がある。判断の背景には、表現の自由を保障した憲法の存在があった。

 ■民主主義をも疑う

 立憲主義は、時に民主主義ともぶつかる。

 民主主義は人類の生んだ知恵だが、危うさもある。独裁者が民主的に選ばれた例は、歴史上数多い。立憲主義は、その疑い深さによって民主主義の暴走への歯止めとなる。

 根っこにあるのは個人の尊重だ。公権力は、人々の「私」の領域、思想や良心に踏み込んではならないとする。それにより、多様な価値観、世界観を持つ人々の共存をはかる。

 ただ、こうした理念が、日本の政界にあまねく浸透しているとは到底いえない。

 自民党は立憲主義を否定しないとしつつ、その改憲草案で「天賦人権」の全面的な見直しを試みている。

 例えば、人権が永久不可侵であることを宣言し、憲法が最高法規であることの実質的な根拠を示すとされる現行の97条を、草案は丸ごと削った。

 立憲主義に対する真意を疑われても仕方あるまい。

 衆参両院の憲法審査会は昨年、立憲主義などをテーマに討議を再開したが、議論の土台の共有には遠い。

 どんな立場を取るにせよ、憲法を論じるのなら、立憲主義についての真っ当な理解をより一層深めることが前提でなければならない。

 ■主要国共通の課題

 立憲主義にかかわる議論は、欧米諸国でも続く。

 一昨年のパリ同時多発テロを経験したフランスでは、非常事態宣言の規定を憲法に書き込むことが論じられたが、結果的に頓挫した。治安当局の権限拡大に対する懸念が強かった。

 同じくフランスの自治体が、イスラム教徒の女性向けの水着「ブルキニ」を禁止したことに対し、行政裁判の最高裁に当たる国務院は「信教と個人の自由を明確に侵害する」という判断を示した。

 個人、とりわけ少数者の権利を守るために、立憲主義を使いこなす。それは今、主要国共通の課題といっていい。

 環境は厳しい。反移民感情や排外主義が各地で吹き荒れ、本音むき出しの言説がまかり通る。建前が冷笑されがちな空気の中で、人権や自由といった普遍的な理念が揺らぐことはないか、懸念が募る。

 目をさらに広げると、世界は立憲主義を奉じる国家ばかりではない。むしろ少ないだろう。

 憲法学者の長谷部恭男・早稲田大教授は「立憲主義の社会に生きる経験は、僥倖(ぎょうこう)である」と書いている。

 であればこそ、立憲主義の理念を、揺らぎのままに沈めてしまうようなことがあってはならない。

 世界という巨大な船が今後も、水平を保って浮かび続けられるように。

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