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 「この道」の詞は詩人の北原白秋が、旅先の札幌と故郷の福岡・柳川などの風景を重ねて書いたと言われている。柳川には白秋の記念館もあるため、どちらかというと柳川がご当地、との印象がある。

 だが、あかしやの花や山査子(さんざし)の枝はともかく、白い時計台だけは妙に具体的だ。白秋は時計台を訪れていない。作曲した山田耕筰も札幌とは無縁。ずっと気になっていた。

 時計台を訪ねると、石原裕次郎、青江三奈、コブクロら、この観光名所にまつわる歌をうたった人気歌手たちのレコードが所狭しと展示されている。しかし「この道」の資料はない。館長の門谷陽さん(66)に尋ねたら、「そういえばあってもいいかもしれないですねえ」とのんびり。

 時計台は明治期の北海道開拓時代、青年たちが集った札幌農学校の跡地にある。当時は「えんぶじょう」と呼ばれていた。演舞場かと思いきや、卒業式などの公式行事や兵式訓練、肉体鍛錬などをおこなう演武場だったという。建設を構想したのはかの名言「少年よ大志を抱け」の主、W・S・クラークだ。

 時計台は外観の色が何回も塗り替えられている。過程を示した図が展示室にある。

 「見たお客様に、あれー、時計台、白くないんですねって言われましてね」と門谷さん。ほんとだ。建設当初は曇天の空みたいな薄い灰色で、その後、黄土色や薄緑色に。

 1949年、時計台は濃い緑色に塗装されている。しかし、その4年後に白く塗り直された。いや、時計台が白く塗られたのは実はこれが初めてだ。何があったのか。

     *

 「時計台は白くなくてはならない」。そう声をあげた人物がいたのだ。植物学者の宮部金吾。札幌農学校の2期生で、同期には経済学者の新渡戸稲造(にとべいなぞう)やキリスト教思想家の内村鑑三がいる。札幌市の名誉市民第1号だった。

 時計台のある学びやを、初代教頭クラークの精神の象徴として人一倍敬愛していた。名誉市民のクレームとあらば、むげにもできない。

 しかし、実際に宮部が最初に見たのも曇天のようなグレーの外壁だった。宮部の記憶にも、時計台は白いものとして刻印されていたのである。

 時計台は白い。この共同幻想をもたらしたのは何なのか。『白秋望景』(新書館)を書いた評論家、川本三郎さん(72)に尋ねたら「確かに、白秋にとっての白は人生の基調となる色でした」。

 1歳の夏、海辺に連れていってくれた母が持っていた白いこうもりがさを、白秋はのちのちまで鮮明に記憶していた。親友が自殺し、骸(むくろ)にすがって泣きながら葬列に加わったときも、周りには白いたんぽぽが咲き乱れていた。白秋の歩みは、そうした「無垢(むく)の象徴」たる白の記憶から始まったと川本さんは話す。

 「この道」の詞は、前作「からたちの花」の妹分を意識し、白秋から耕筰に差し出された。二つの調べを、やはり「白」が結んでいる。

 ■白秋と耕筰が重ねた共感

 「からたちの花」は、実に切ない歌だ。

《からたちのそばで泣いたよ

 みんなみんなやさしかったよ》

 からたちの花は、白秋ではなく、若き日の耕筰が味わった痛みの象徴である。

 10歳で放蕩(ほうとう)の父が亡くなり、その遺言で東京・巣鴨の活版工場に働きに出される。その工場の垣根に、春になるとからたちの花が一斉に咲いた。十分な食べ物がなく、秋にからたちの実が色づくと、摘んでは口に入れた。むせかえるほどの酸っぱさだったが、それでもおいしかったと耕筰は自伝で振り返る。

 大人の職工に暴力をふるわれるたび、垣根の前に行ってうなだれ、泣き、逃げ出したい気持ちを胸に封じ込めた。

 母と離れて暮らす心細さ、学びへの渇望、まだ見ぬ世界への憧憬(しょうけい)。若き耕筰の衝動と焦燥のすべてを、からたちの垣根がせき止めていた。「白い花」は希望であり、「青い棘(とげ)」は容赦ない現実の厳しさ。「まろい金の実」は母の面影だったのだろうか。

 抑えがたい郷愁を、とてつもない想像の力で生きる力に変えてゆく。「からたちの花」は、そんな少年のけなげさをいとしく思う白秋の心と、それを受け止めた耕筰の浄化の歌なのだ。

 一方、唱歌「この道」は、洗練を極めた対話の芸術である。自身との対話。愛する人との対話。あるいは、思い出の中の亡き人との対話。

 「この道は」「いつか」と、記憶の奥を探り、「ああ、さうだよ」と幼き日の風景との「再会」を果たす。あかしやの花、山査子の枝、母と乗った馬車。しかし、すべてはしゃぼん玉のように、人知れず痕跡もなく消えてゆく。ひたるにはあまりに短いノスタルジーが、永遠を思わせる余韻を胸に残す。

 耕筰が規範としたクラシックでは基本、旋律は小節線の枠組みにはめこまれる。しかし耕筰の旋律は、その枠組みを自由に超えてのびやかに歌われるのが特徴だ。日本語の抑揚に柔らかく添い、小節線の縛りを逃れ、無軌道に広がってゆく。耕筰と親交のあったバリトン歌手の故畑中良輔さんが、飲むたびに「耕筰先生が、言葉が音楽の母だということを教えてくれた」と語ったのを思い出す。

 「白い花」から「白い時計台」へ。幼き日の共感を重ね、前作よりはるかに抽象的かつ芸術的な世界へと、ふたりは歩み入ってゆく。

 活版工場での激務がたたり、耕筰は病を得る。鎌倉の七里ガ浜で母と二人の療養生活に。泳ぎが苦手な少年は、クロダイを釣り、行商をして過ごした。「母にずっと見守られていた、人生で最も幸せな日々だったのでは」と耕筰の娘の山田浩子さん(79)。

 幼い頃から抱いていた「作曲家になりたい」という思いが胸の中で燃えさかったとき、病の床から東京音楽学校(現東京芸大)に進むよう助言したのもこの母だった。耕筰が18歳になる年、母は子宮がんで死去。音楽の勉強に邁進(まいしん)することで、耕筰は途方もない喪失感を振り払う。

     *

 旧演武場で時計の針の動きを静かに眺めているうち、私のなかで、ここで開拓の夢を担った農学校の若者たちの気概と、西洋文化を貪欲(どんよく)に吸収しながら表現の道を志した耕筰の野心が重なった。彼らの夢は、近代化の一途をたどる日本の未来そのものだった。

 「この道」には、モデルとなる道はない。だからこそ、聴く人ひとりひとりの「私の道」となって愛された。「白」という色には西洋への憧れのまなざしと、開拓を志すたくましき精神が映る。時計台は、スポーツや兵式訓練に励む若者たちを優しく見守るシンボルでもあったのだ。

 終戦後、耕筰は戦意高揚の歌を多く書いたかどで糾弾され、病に倒れた。人生の数だけ「この道」があればいい。戦によって「道」が束ねられることが、もう二度とないように。半身不随となった晩年の耕筰は、ふとそんなことを願ったのではなかろうか。

 札幌から快速に乗り、新千歳空港へ。平原にふっかりと積もった雪に陽光が強く照り返してている。目を閉じ、ただただ白い残像に心を預けた。

 (文・吉田純子 写真・外山俊樹)

 ■今回の道

 《この道はいつか来た道/ああ さうだよ/あかしやの花が咲いてる/あの丘はいつか見た丘/ああ さうだよ/ほら 白い時計台だよ》……。北原白秋(1885~1942)による「この道」の詩は1926(大正15)年、雑誌に掲載され、27(昭和2)年、山田耕筰(1886~1965)の作曲で唱歌として発表された。

 耕筰にとっては、気力、実力ともに充実した時期の楽曲である。日本人で初めて交響曲を書き、オーケストラを創設するなどして日本のクラシック文化創造の先頭を走り続けた耕筰だが、人の心を結ぶ素朴な歌を紡ぐ初心を生涯忘れることはなかった(写真上は白秋。写真下は、20年ごろ、渡米した際の耕筰、山田浩子さん提供)。

 ■ぶらり

 札幌市時計台は、札幌駅から南方面へ歩いて10分強。見学者には外国人の姿が目立つ。1階の展示室は窓が大きくて明るい。時計台が歌詞に出てくる歌謡曲などの紹介コーナーで足を止め、談笑する観光客が多い。

 階段をあがっていくと、かつての講堂の奥に塔時計が。原形のまま正確に動き続けている。塔時計としては日本最古級だ。振り子を動かすために50キロ、鐘を打つために150キロ。これだけのおもりを3日に1回、人力で巻き直す。

 傍らに、同じ米ハワード社製の時計の模型も。繊細な切っ先がこすれあい、軽やかにかみあってコツ、コツと回るあまりにも精巧な歯車は、もはや機械というより命の鼓動そのもの。歴史を超え、刻まれ続ける時間の重みを五感で受け取り、時の流れを人々に伝える志を思い、心がしんとした。

 すると「でもね」と門谷館長が苦笑い。「来てみたら、あまりにも建物が小さくて期待はずれだと言われたりするんですよ」。ああ、そういえば「3大ガッカリ名所のひとつ」なんて言われることもあるようで。でも、外観に目を奪われないからこそ、自然の営みへの謙虚さと、開拓時代の人々の少年のような好奇心を感じることができる。時が進むのを感じるときに、時が止まったような心地がするのはなぜだろう。

 門谷さんの笑顔に送り出され、車が行き交う幹線道路へ。振り返るとやっぱり時計台は小さくて、申し訳なさそうに肩をすくめているように見えた。

 ■聴く

 昨年の生誕130年に企画された「決定盤 山田耕筰 歴史的名唱集」(日本コロムビア)は、二葉あき子や松田トシら、往年の人気歌手による個性的な名唱を集めた復刻盤CD。「この道」は藤山一郎と柴田秀子が歌っている。「赤とんぼ」だけでも4人の歌唱を収録。多彩な人間の感触に満ちた「耕筰節」の神髄を味わえる。美空ひばりのナレーション入り「ペチカ」は聴き物。山田本人によるピアノ伴奏も。2枚組み、税込み3240円。

 ■読む

 山田耕筰『自伝 若き日の狂詩曲』(中公文庫)は、音楽に憑(つ)かれた少年時代からベルリンでの留学の日々に至るまで、青春の日々を躍動的な筆で活写している。周囲の人々や環境を好奇心たっぷりに観察し、本質を暴いてゆく感性の鋭さに脱帽。文体は上質のウィットに富み、時に浪花節で泣かせる。音楽的センスは文章にも宿るらしい。

 ■読者へのおみやげ

 札幌市時計台オリジナルの卓上カレンダーを10人に。住所・氏名・年齢・「28日」を明記し、〒119・0378 晴海郵便局留め、朝日新聞be「みち」係へ。2月2日の消印まで有効です。

 ◆次回の道は、闇金融業者の実態を赤裸々に描いた漫画「ナニワ金融道」です。作者の青木雄二さんが、そこに込めた思いは?

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