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 ■10の牌楼が守る華人の心

 約500メートル四方に広がる横浜中華街(横浜市中区)は、「斜めの街」だ。海岸線に沿って碁盤目に整備された周囲とは対照的。「新田に作られた水路を生かして街をつくったので斜めの街並みが残ったのでしょう」

 横浜開港資料館主任調査研究員の伊藤泉美さんの話を聞きながら、山下公園側の朝陽(ちょうよう)門(東門)から街へ。高さ13・5メートル。2004年のみなとみらい線開通で元町・中華街駅が誕生し、多くの観光客が最初に目にする牌楼(ぱいろう)(門)になった。牌楼をくぐると空気とにおいが変わる。

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 もともと1859年の横浜開港で生まれた外国人居留地。街全体を10基の牌楼が囲み、邪気から街を守っている。中でも南を守る朱雀門、西の延平門、北の玄武門、東の朝陽門は、中国の陰陽五行説に基づく守り神だ。最初の牌楼は1955年、街の発展を願って大通りに善隣門の前身が作られた。今は年間2千万人以上が訪れる観光地だが、当時は華人コミュニティーの色彩が濃かった。

 南門シルクロードを朱雀門方向へ進むと、海を守る女神をまつる媽祖廟(まそびょう)が現れる。約10年前、地元の店主らが約18億円かけて建設した。毎年3月の媽祖祭では、媽祖様の分身を乗せたみこしが街を巡行する。

 廟内の鐘楼・太鼓楼に使われている古いれんがは、建設中に敷地内から大量に出土した明治、大正期のれんがの一部。関東大震災の破壊を免れた貴重な資料だ。横浜居留地の歴史は約150年しかなく、遺構類が文化財として公的に保存されるケースは少ない。「中華街の歩みの記憶を次の世代につなげたい」との地元の強い願いが、れんが保存につながったという。

 朱雀門を越えると堀川があり、その先は元町ショッピングストリート。もとは地続きだったが、水路(堀川)が掘られ橋が架けられた。外国人居留地との間に関所を作り、人の出入りを規制するためだったという。

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 華人の守り神・関帝廟は震災や横浜大空襲など、何度も焼失に遭い、その都度再建されてきた。今は4代目。作法を教わって中国式の参拝をする日本人も多い。神様に自分を印象づけるために、心の中で住所、氏名、生年月日を告げた上で具体的な願いごとをする。

 2代、3代と住む華人もいるが、新旧の入れ替わりは激しく、街並みも移り変わってきた。だからこそ「中国人のアイデンティティー」にこだわり、街を挙げて春節、媽祖祭など中国式イベントをしかけてきた。

 中国雑貨店「萬來行(ばんらいこう)」を開く竹本理華さん(43)は横浜中華街発展会協同組合常務理事として街を盛り上げてきた若手。「すごい勢いで新しい住民が入ってきているが、すぐ受け入れられるのがこの街です」(佐藤善一)

 ◇最寄り駅はみなとみらい線の元町・中華街駅。JRの関内駅、石川町駅、横浜市営地下鉄の関内駅からも徒歩圏内。横浜駅、桜木町駅からは路線バスも出ている。ちょっと変わったところでは、横浜駅東口から船のシーバスで山下公園まで行き、そこから歩くのも楽しい。

 ■おすすめ

 旧正月を祝う「春節」のイベントが28日~2月11日、開かれる。28日には爆竹や太鼓の音が鳴り響く中、獅子舞が商売繁盛を願って街中を練り歩く。29日、2月5日には中国雑技など伝統芸能の舞台、4日には皇帝に扮した一行が街中をパレードする。最終日の11日夕には媽祖廟で元宵節燈籠(げんしょうせつとうろう)祭がある。詳細は横浜中華街発展会ホームページで。

 ◆横浜中華街大通りの「萬來行」大通り店で販売している中国の布小物や縁起物などの詰め合わせを4人にプレゼントします。同店は中国で買い付けた布小物や茶器、雑貨、中国の天然石を使ったオリジナルアクセサリーなどを販売し、観光客に人気です。件名「訪ねる・横浜中華街」で名前・住所・電話番号をメール(yukan-toukou@asahi.comメールする)で。2月1日(水)必着。当選者にのみ連絡いたします。

 <訂正して、おわびします>

 ▼1月26日付アクティブ面「訪ねる 横浜中華街」で、横浜開港資料館主任調査研究員の伊藤泉美さんの話として「吉田新田と呼ばれた田畑に中国人が移り住み、水路を生かして」とあるのは「新田に作られた水路を生かして」の誤りでした。また、「『当時は唐人街や南京街と呼ばれ、華人コミュニティーの色彩が濃かった』と伊藤さん」とあるのは、「当時は華人コミュニティーの色彩が濃かった」の誤りでした。別の人への取材や文献などによる記述でした。確認が不十分でした。

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